オタクに優しいギャルが話の主軸となっているマンガを読むと全身の毛穴が粟立つ呪いにかかってしまった。
なんつーか、自身の「性欲」をギャルのマインドとオタクくんのマインドの落差で隠そうとしているのがまず気色悪い。「性欲」をストーリーには絡めないけど、ストーリーを動かしているのは「性欲」であるという、それがわかりやすくて、嫌いだ。
作品の原動力は欲求や強い感情だから「性欲」が底にあるのはいいのだけど、それがオタクに優しいギャルモノってあからさまになっていて、なんつーか知らん奴の自慰行為を見せつけられているみたいで気分が悪いんだよな。
それから、普段は格上のカーストであるギャルが、たとえばオタクくんの趣味と合って次第に交流を深めていくという過程に包み込まれている「格上のギャルを隷従させたい」という性欲と結びついた「支配欲」のようなものも垣間見えて、気色悪い。
自身の劣等感や「オタクの気質」を隠れ蓑にして「性欲」を解放している。それってギャルにも失礼だし、一般のオタクくんにも失礼だ。
お前はクズだ。
「おれはオタクだけど、エロいエロいギャルが好きでたまりません!!!!」と開幕1ページで宣言してくれた方が潔くていい。それなら好感がもてる。
オタクに理解のあるギャルの話でよく見られる批判が「リアリティがない」とか「ギャルはマジでクラスの隅にいる陰キャに興味がない。くすんだ色の埃カスと区別のついてない」というものだが、そこはまったく問題ではない。
むしろ、フィクションなんだから好きにしろ、と思う。
オタクに優しいギャルの出現は、確かに現実にはありえない。胸のエンジンをふかすと頭からチェンソーが生えたり、手から波動砲が出たり、学園の王子様と冴えない私がひょんなことから付き合うくらい、ありえない。これらのフィクションと、オタクに優しいギャルは同列に扱うべきだ。
「リアリティがない」という批判をフィクションに浴びせるというのは、とても難しい。リアリティとはなにか、を明確に定義する必要がある。リアリティがなくても話が成立しているパターンはいくらでもあって、ときにはそれが評価の対象にもなっていたりする。話の意図と演出の意図を分けて考えてみないと、あなたのその批判は、あなたの批判する作品よりも、稚拙になる。
この論理でいくと、オタクに優しいギャルのマンガは存在していてもなんら問題ないということになる。
もちろん、問題ない。
好きなようにやればいい。
性器にこびりついた劣等感を、フィクションにしかいないエロいギャルで拭い取っていればいい。
ただその汚れたスポンジを、自涜行為を、まざまざと見せつけないでほしい。
私が積極的に目をそらせばいいだけなので、向後一切、オタクに優しいギャルからは距離をとろうと思う。
この話は、批判でも批評でもなく、単に私の好き嫌いの話。私が単に、嫌いというだけ。
さよなら。