『デカメロン』という作品がある。
ルネサンス期の作家、ボッカッチョが書いた物語で、別名「十日物語」とも呼ばれる。
ペストの流行する街から丘の上の小屋へ逃れた男女が日替わりで話を物語る、ルネサンスの人文主義を代表する作品である。
もちろん私は『デカメロン』を読んだことはないのだが、ちょうどこのGWが、家に篭りきりだということで、山小屋に篭ったルネサンスの男女と境遇があるいは似ているかもしれないと、そこから発想を得た。
ブログというノンフィクションが前提にある媒体で、人から聞いた話のように虚構を語るとそこには「本当の話なのかもしれない」というリアリティが生まれるんじゃないか。
そこで、噂話みたいな作り話を一週間投稿してみた。
コロナ・デカメロンと名付けたそれは「ブログ」媒体とその文体を活かして書いた実験的な物語だ。
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あとがき的なものは読者からしたら萎えるので書きたくないのだが、「コロナ・デカメロン」については物語というよりもまず「試み」が先行しているので、その結果として考えたことをここに書き残しておきたい。
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書いててとても楽しかった。
フィクションでもノンフィクションでもないものを書いている感じがした。
もちろん内容はフィクションなのだけど、テーマが昨今ニュースで取り上げられている話題を中心にしたので、実際に自分が当事者になったかのような体感があった。
うすい嘘。半嘘。そんな感じがして面白かった。
読み返してみて、あまりにも嘘すぎてもいけないし、あまりにも本当ぽくしてもしょうがないのだなと反省した。
「物語である」と確信して読んだ場合はすこし怪異のある方が面白い。前編の"街に繰り出す怪異"の話、"Zoomの都市伝説"の話は塩梅が良い。
一方で、「誰かがこんなこと言っててバカだったんだよ」という話はフィクション要素が薄く、ノンフィクション度数が高くなって、もはや物語というよりか単なる「嘘」になってしまうことがわかった。中編の、"信憑性のあるデマ"の話、"あつ森"の話、"髭の需要が生まれつつある話"あたりだ。
かえってフィクション性が強すぎると、ブログのノンフィクション性が損なわれやすくなった。"後編のマスク長者"の話(マスク長者ってなんだよ)、"ヤフー知恵袋"の話だ。
「ちょっと不思議」くらいが丁度いい。
ちなみに書いてて楽しかったのは中編だった。
「人から聞いた話だけど」
そう書くことで読者を「又聞き」の状態で物語に誘い込むことができる。
これは多くの物語でも使われている手法だし、実際生活でも、本当にあった出来事であったとしても「又聞き」となることで当事者意識から遠のき、現実は虚構化しやすくなるのではないかと思っている。
たとえばそうやって都市伝説なんかは生まれ、本当か嘘かわからないリアリティのあるフィクションになるのではないか。
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などといったことを考えつつ、読んでいただきありがとうございました。
以下に作品一覧をまとめます。
(前編)
4月30日
5月1日
(中編)
5月2日
5月3日
5月4日
(後編)
5月5日
5月6日