蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

『ハックルベリイ・フィンの冒険』を今こそ読むべきだ

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『ハックルベリイ・フィンの冒険』でも読むか……

 

  スッ……

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あれ……?

 

  あっ!!!

 

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中身が逃げてやがる!!!

 

文字通り「本体」が逃げてやがる!!!

 

※本体は川へ逃げていましたが、捕まえました。

 

 

 さて、茶番はこのくらいにして、読みました、ハックルベリイ・フィンの冒険

トム・ソーヤーの冒険』の続編となる今作の主人公は、トムの友だちのハックルベリイ・フィン。物語は前作の続きから始まる。

 

ハックルベリイ・フィンの冒険』はアメリカ近代小説の祖とも言われている金字塔的作品で、アメリカ文学にかなり疎い私だが、これくらいは読んでおかないとな、と思い、前作『トム・ソーヤーの冒険』から読みはじめた。

arimeiro.hatenablog.com

 

 『ハックルベリイ・フィンの冒険』について語るべきことはたくさんあると思うし、もちろん多くの研究者によって言及されてきた作品であり、とても1000字程度で書ききれるほど薄い作品でもない。

 

 小説に書かれていることは寓話でもメタファーでもなく真実なのだという、実体と温度とにおいを感じられる作品だった。

 

 それは『トム・ソーヤー』のときから通底していて、私たち日本人は日本語で19世紀のアメリカの田舎の話を読むことになるわけで、アメリカに住んだことも行ったこともない私にはアメリカ人ほどにこれを読んでもそのリアリティな描写に心動かされることはないにせよ、日本人的になるほどと思ったり、日本人的に19世紀アメリカの大河周辺の風の香りを思い描くことができた。

 名作とはそういうもので、体験したことのない状況も国も時代であったとしても、なにか人間の心の奥底に通底している「流れ」に船を浮かべて物語世界へ誘ってくれるものだ。

 だからこそ、名作は世界中で読まれて共感を呼んだり、あるいは論争を巻き起こしたり、大人から子供まで胸の内にある心と呼べるものを動かされて、人それぞれに情感を沸き立たせるのだろう。

 

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 この作品には「黒人」という言葉がほとんど出てこない。

 すべて「黒ん坊」と言い換えられている。米語だと「ニグロ」になるだろうか。この表現について過去には論争を巻き起こし、一時期は発禁処分にもなったらしい。図書館から姿を消した州もあったという。

 作中では明確な差別があり、黒人たちは奴隷で、ちょっとなにかあると絞殺されかけたり簡単に蔑ろにされ、金に換えられたりもする(要するに身売りされる)。なんていうか、犬と同じかそれ以下くらいの扱いを受けている。

 ハックルベリイ・フィンと共に逃亡劇を繰り広げるのはそんな「黒ん坊」の逃亡奴隷ジムだ。

 

 ハックルベリイ(ハック)は白人であり、黒人を(もちろん当時の「常識」として)奴隷であるものであり、白人の所有物であると認識している。

 いくらハックが子どもであると言えども、そこだけはぜったいに曲がらない。その徹底ぶりの当時の「常識」は包み隠されておらず、そう真実だと思えるのはやはり先にも書いた名作なりの説得力がいたすところである。

 だからこそ、ハックやトムがジムを助けようとさまざまな策略を巡らしたり、ジムを友だちであり仲間であり親であるかのように接する態度にも純粋な説得力がある。

 

 なぜ黒人は奴隷にならなければならないのだろう?

 僕たちは白人で、ジムは黒人で、けれども家族を想ったり神に祈ったり幽霊が怖いことは同じで、いったい僕たちになんの違いがあるのだろう?

 

 子どもながらに抱く、大人の世界がひた隠しにし続けて都合の良いように解釈する現実の真実と事実の矛盾の違和感のようなものを、明言はされていないけれど作中で常に語られているように読み取れた。

 そこが、作中における人種差別に対する痛烈な批判性なのだとおもう。

 

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 自分たちのひどい歴史や都合の悪い歴史的事実に対して、どの国も人種も目を瞑りがちだ。

 まるでなかったことのようにしてしまうことがある。

 事実は捻じ曲げられて真実は目に見えなくなる。「ほんとうだよ」と言われ続ける嘘の方が信憑性があり、いつしかほんとうにほんとうのことが有耶無耶にわからなくなっていく。

 現実とはそのようなものだ。

 

 だけど、フィクションの物語は最初から「嘘」であることで「真実」を語りうる。

 文章の持つリアリティが、読まれることによって、虚構の中に込められた真実を浮き彫りにしていく。

 

 目の前の現実で起こり続ける人種差別の悲劇に目を向けると同時に、私たちはハックルベリイ・フィンやトム・ソーヤーのような子供的視点を持って、根本的な疑問に自分を問い直してみることが必要なんじゃないだろうか。

 この物語は寓話でも説教でもなく、虚構に込められた真実であり、読む人にさまざまなことを問い直させる。

 

 シンプルに冒険小説として心踊らされて面白いので、読んでみてはいかがでしょうか。