昔はそこらじゅうでタバコをふかせたらしい。
これは今思うとすごいことだ。私の物心がつく頃にはそこらじゅう禁煙だらけになっていて、分煙が進んでいたので、街やホテルや電車やホームでタバコをぷかぷかやっていた光景がうまく想像できない。
電車を待つ間にホームでタバコをふかし、灰皿に捨てるか、足元で踏み潰していたというのだ。いろいろと危険だし、空気も悪かったろう。
私ももとは喫煙者で、タバコの美味さというものを心得ているつもりだ。
禁煙してどれだけ経ってもときどき、こんな風の吹く夜にはタバコをふかせたらどれだけ素晴らしい人生だろうなどと思ってしまう。酒を飲みながらフィルターの手触りを指先が探しているときがある。
だから、そこらじゅうでタバコを喫めたなんて素晴らしいことだと直感的にわかる。
ただ、タバコを嗜まない人からすれば迷惑もいいところだろうな、というのもわかる。
タバコ、とくに紙巻きをやる人は、たいてい臭い。
タバコとコーヒーの組み合わせは最悪の必中効果で、はっきり言ってうんちの臭いがする。
長らく吸ってきた人の衣服や頭髪や皮膚や粘膜にはタバコのニオイが染み付いていて、ときどき自覚もなく悪臭を振り撒く人がいる。タバコとコーヒーのニオイだとすぐにわかる。
昔は喫煙者も多く、どこでも喫煙できたということは、こんなニオイの人がそこらじゅうをウヨウヨしていたのだろうか。なんとも寛容な時代である。
タバコは体に悪いけど喫煙者にしたらそんなことはどうだってよくて、健康は禁煙する理由にならない。健康を害する覚悟を持って喫煙しているし、タバコでしか埋まらない心の穴というものがあるのだ。
私は心の穴が埋まったわけではないし、やっぱりタバコ吸いたいな〜と思うことがある。それでもやめられたのは「なんかもういいかな」と思えたからだ。
急に飽きてしまった。「仕事で癒しの時間を作りたい」みたいな目的をもって喫煙するのが苦痛になった。
タバコは目的もなくふかすのがちょうどいい。
時間を味わうみたいに煙を眺めているのがいい。
でもそうするにはタバコの価格が上がりすぎているし、喫煙者の肩身は狭い時代になってしまった。
生きるのはつらいことだからタバコがあるのにね。今はきっと、昔よりもいい時代なのに。