食べ物の好き嫌いが多い人は可哀そうだと思う。だって、美味しいと思える心の幅が狭くて人生が豊かじゃないからだ。余計なお世話?
今から余計なお世話をやっていくので、覚悟してください。
私は鼻垂れ坊主だった時分、好き嫌いが極めて多く、少食だったこともあり、食べられるものがかなり限られていた。
肉と野菜が食べられなかった。あんこをはじめとする和菓子も無理で、刺身も無理、クセのある食べ物はすべて無理、食感が変なのも無理、無理無理無理無理無理無理無理無理ッッ!!
何を食べていたかというと、ほとんど何も食べていなかった。
そのため発育が良くなくて体格も細く、「しなびたほうれん草」「あわれな骸骨」「平成飢饉」「冷蔵庫の隅に落ちていた、いつのものかわからないモヤシ」「ピューリッツァー賞の飢餓に苦しむ人」「線」「虐待されていると疑われている人」「室町時代」などなど、不名誉なあだ名をつけられて、自分だって好きでこんな細いわけじゃないのに。。。とハンカチを噛んで夜な夜な悲しんでいた。
まあ嘘なんだけど、細いのは確かだ。
当時は食べること自体が嫌いで、食事なんて人類の発展の足枷だと思っていた。
そんな好き嫌いの激しかった私はどうなったかと言うと、23歳現在、嫌いな食べ物がひとつもない。すべての食べ物を克服し、その美味なる歓びを享受するに至っている。
どうやって克服したか?そのメソッドをご紹介しよう。
いくぞッ!くらえッ!余計なお世話だッ!
メソッド1【「嫌いな食べ物」ではなく「得意ではない食べ物」と思う】
「嫌いな食べ物」と思うと、それでもう脳がその食べ物を完全に拒絶してしまい、食指がすすまない。そうではなくて「得意ではない」と思うとどうだろうか?
すると脳は錯覚する。「得意ではないだけであってその気になれば本当は食べられるんだ」と。
脳を錯覚させるだけで、完全に動きが止まっていた食指が「動こう」という気になってこないだろうか。ならない?なるんだよ。
「思い込み」でよくて、実際に食べなくてもいい。精神的に優位に立ち、「私はこれを食べられない」という劣等感をまずは失くすのだ。
「食べられないんじゃない。食べないのだ」と。
メソッド2【「クセ」を楽しむ】
食べ物には多かれ少なかれクセがある。パクチーなんて食べられる雑草と称されるほどのものすごいクセがある。肉も臭みがあったり、生魚は食感がネチョっとしてたり、チーズはシンプルに臭かったり、食べ物にはクセがつきものだ。
もしも食べ物に一切のクセがなかったらどうなるだろう?それって、味もない、食感もない、香りもない、水、いや、空気なんじゃないだろうか。
そう、クセとは食べ物の個性であり、逆に考えれば「おいしさ」でもあるのだ。
その固有のクセが嫌なわけだけど、固有のクセにハマる人もいるわけで、そういう人たちは何を好んであなたの嫌いな食べ物を食べているかというと、そのクセを楽しんでいるのだ。
クセのスリルを楽しめ。
昔、ジェットコースターに乗れなくてうじうじしていたところ同伴に「落ちる感覚を楽しいと思えば乗れるよ」と言われ、そう信じて楽しい楽しい楽しい楽しい楽しいと思い続けたら本当に楽しかったという経験がある。それと同じことで、固有のクセを「嫌だ嫌だ嫌だ」と思うのではなく、「楽しい楽しい楽しい」と思い込むことでクセを克服できるはずだ。
以前は生のトマトが苦手だった。皮が地味に丈夫でキモいし、口の中で弾けるエグ味、食感は魔獣の臓器みたいで最悪、味もにおいも胃液みたいで最悪だと思ってた。でも、そのクセどもを楽しもうと努めた。「皮丈夫でおもしろいなぁ、エグ味も楽しいなぁ、魔獣の臓器ってほんとうにこんなのなのかなぁ、ゲロよりはずっとマシだなぁ」と。
効果あんのか?って思ったでしょ。
効果あんだよ。今では、生のトマトが大好きになった。クセがたまらない。
クセを受け止めなくてもいい。クセを「楽しい」と思えるようになることが大切で、思えればそれでいいのだ。
メソッドその3【砂漠で遭難作戦】
飛行機が砂漠に不時着して飲まず食わずで七日、ようやく救助されたとき、あなたの嫌いな飲み物と食べ物が出されました。さて、あなたは死を選びますか?ってことですよ。
食べるでしょ。
飲むでしょ。
だって死ぬもん。死ぬの嫌だもん。
七日間飲まず食わずで飢餓状態にあったら、どんなものでも美味しく感じるはずだ。あなたの目の前にある、大嫌いな春菊とパクチーのサラダだって、「ありがてェ!ありがてェ!ガァフガフガフ!」と泣きながら食べ、与えてくれた人を神様のように拝むはずだ。
「得意でない食べ物」の「クセ」を受け入れる最後の手段として、これが一番効きます。
以上3つのメソッドが克服の道だ。
あと、私はお酒を嗜むようになってから味覚が変ったのか、麻痺したのか、なんでも美味しく感じるようになりました。ので、3つのメソッドはなんの効果もないかもしれません。大人になるのを待ちましょう。