今週のお題「読書の秋」
読書って本来は自由で楽しいエンターテイメントのはずだ。
それはラノベにしたってそうだし、夏目漱石や村上春樹にしたってそうだ。
『資本論』がエンタメかはちょっと微妙だけど、物語や小説は基本的にはエンターテイメントだ。
読み方に形式なんてないし、好きなタイミングで、好きなペースで読めばいい。多く読んだら偉いわけでもないし、深く読み込めたらそれが本当の読書というわけでもない。楽しんだもん勝ちだと思う。
なんていうか本と過ごした時間が大事なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
本を読むのには時間がかかるし、正直言って文字を追うのは疲れるし、想像するのも怠い。集中を切らすと何言ってんのかわかんなくなるし、それで同じ行を何回も読んでしまうことだってある。
そんな面倒くさいものに付き合って、自分の時間を持って、しかもそれを愉しむことができるということに、なにか豊かさというか、大切なものがあるのだと私は信じたい。
本はそういった豊かさを、文字を追うだけで楽しめる娯楽だ。
なんか高尚なことを書いてるように見えるけどこんなのは格好つけてるだけで、本質的には楽しければなんだっていい。忘れてくれ。
せっかく文字を読めるんだから、本、おもろいから読めばいいのに、と思う。
私は読書好きだからそう言えるけど、読書をしない人からしたら「それが難しいんだよ」と思うだろうし、私だってマラソン選手に「動かす脚があるんだから42Km走ればいいのに」と言われても困る。
でもマラソンよりは読書の方が楽だし、娯楽性がある。
なんだか昨今の、読書に対する堅苦しさというか、余裕のなさというか、嫌な風潮で読書の自由性が失われかけていやしないかと心配だ。
読書人口が減るにつれて急進的な読書党が明かりを灯さんとして読書を何か知的な趣味にしようとしているのではないだろうか。それもひとつの生き残る方法だけど、はたからみれば厄介なオタクってだけで、現実的にはさらに読書から人を遠ざけているように見える。
私の思い過ごしならそれでいいけど。
何度も言うけど本を読んだから偉いなんてことはない。
頭が良くなるなんてことはない。私は本を読んでたら普通に浪人したし、数学の試験で県下ビリになったこともある。国語だって別に得意じゃない。英語もまるでできない(私にできることなんてスパゲティを茹でることくらいだ)。
単純に本が好きなだけだ。
その副次的な効果なんて知らないし、その効果を目論んで読書をして楽しいのかとはたして疑問だ。さっきも言ったけど小説はエンタメで、楽しんだモン勝ちなのだ。
みんなも気の向くままに本を読めばいい。
読まなくてももちろんいい。
途中で投げ出してもいいし、何回読んでもいい。
読書の秋、なんて誰が言ったか知らないけど、そういう機会にふらっと本屋に立ち寄って、気に入った表紙とか気になるタイトルの本を買えばいい。
買ってすぐに読まなくてもいい。買うタイミングと読むタイミングは違うから(これは自己弁護でもある)。
なにを読みたいかわからないけど本を読みたい、という人。表紙買いしなさい。タイトル買いしなさい。気に入った表紙とかタイトルの本、なんかちょっとタイトルとかあらすじが心に引っかかった本って自分の波長に合ってる可能性が高くて、楽しく読める確率が高い。気がする。ので。
なぜ本を読むのかって、楽しいからに決まってる。