蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

冬瓜を食す

瓜はスーパーでよく見かけるものの、一度も食べたことがなかった。

だから当然、調理したこともない。

やたらと安く売ってる瓜。

それが冬瓜への印象だ。

 

瓜、と聞いて皆さんはなにを思い浮かべるだろうか?

瓜はメジャーな野菜のくせに、その実態は多岐にわたっていて案外つかみどころがないというのが、この食べ物の特性のひとつだ。

瓜と聞いて、私はヘチマを思い浮かべる。

あのザ・瓜な見た目。でもヘチマは食べられない。ヘチマ水を薬にするか、乾かしてスポンジにするかしかない。食べられなきゃ瓜ではないのに、ヘチマは見た目では100%の瓜をしている。

それ以外の瓜──かぼちゃやきゅうりやスイカなどは、いまいち瓜感が私の中では薄い。皮のあたりのにおいを嗅ぐとたしかに同類同族な青臭さがあるのだが、形態がフラミンゴとアザラシくらい異なるし、味も調理方法もまったく異なる。

そんな有象無象ともいえる瓜族のなかで、冬瓜は瓜の代表らしい顔つきをしている。

 

そこまでメジャーな野菜ではない冬瓜だが、味はいったいどんなだろうか?99円だったので買ってみて、料理した。

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可食部に種がつまり、ワタで覆われている様子なんかはかぼちゃそっくりで、遠い親戚なのだと実感する。

今こうして見ると身がやたらに白い。それゆえに冬瓜なのだろうか。

瓜族はひとつとして同じ瓜がなく、私が思い描くスタンダードな瓜などというものは幻想で、数ある瓜族の共通部分が、理想的な瓜というイデアを作り出しているのかもしれない。

完璧な瓜などといったものなど存在しない。完璧な絶望が存在しないように。

 

これを勘でさばき、アク抜きし、レシピにしたがって鶏肉と一緒に煮物にした。できた料理は写真に撮るほどの見た目ではないので撮らなかった。

冬瓜の味は、なんか、なんといえばいいのか。

なんでもない味、だろうか。

爽やかっぽいし、甘くもなければ苦くもないし、トロトロしてるし、でもしゃきしゃきもしていて、食べてもよくわからなかった。私の調理がよくなかったのかもしれない。

食べてもよくわからない。それが冬瓜。

だからイマイチ、メジャー野菜に入れていないのではなかろうか。

「彼には得意なことがありません」

そういわれても仕方がない没個性ぶりである。

「特徴があるにはあるのですが、きっと、明日には誰からも忘れられてしまう、ささいな突起にすぎないでしょう」

なにもそこまでいわんでも。

冬瓜は食べる前のほうが美味しかった気すらする。畑でたわわと実って緑をきらめかせ、切るとじゅわりと汁がほとばしる。そんな絵がありありと思い浮かぶ。

酷評しているようだが、べつに、不味かったとかそういうマイナスな感想でもない。

心が動かなかった。それだけのことだ。

また安かったら買ってもいいと思えるし、スーパーから金輪際姿を消してもなんとも思わないだろう。