蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

140字小説について私が語ること

 2018年の6月からTwitter上で140字小説というものをはじめた。Twitterの文字制限である140字以内で物語を作るというものだ。
 やってみると案外面白くて、国語力や構成力が試されるし、書くことよりも「書かない」ことに重きを置いて情報と表現の取捨選択を迫られるのはちょっと俳句とも似ているところがあり、勉強になる。かといって長い文章を書くのが上手くなるかと言えばそういうわけでもないのだが。それでも140字で140字以上の広がりを持たせる試みは面白い。
 今日は140字小説について少し語りたいと思う。
 私が気に入っている自作をちょいちょい引用しつつ。

ドアをノックして中に入ったが、夫は書斎の椅子にキョトンと座るばかりで何も反応しない。
虚ろな目で瞬きもしないから死んでいるのかと急ぎ首に触れてみたら、確かに脈はあった。
夫は私の触れた部分にゆっくり触れて、静かに涙を流した。
変な人。
私は壁を抜けて書斎を後にした。
#140字小説『幽霊の日』


〇140字小説をはじめたきっかけ
 私は他にもアカウントを持っていて、日々情報を集めて社会情勢や世論、展覧会情報や作家の呟き、ネタツイ、それからえっちな画像などに目を光らせているのだが、そのアカウントでふと140字小説をやってみたのだ。
 ここでひとつ留意しておきたいのは、「140字小説やってみた」と言って簡単にできるものではないということ。140字小説用のミニマムで山椒のように小粒だけど辛味の効いたアイデアが思い浮かばないと書けない。
 6月のある日、私はその「140字小説用のアイデア」を突然思いついたのだ。
 は?
 と思われても仕方ないが、突然思いついたのだから仕方がない。
 風呂に入っていて唐突に、アイデアが浮かんだ。プププ。こりゃおもろいぞな。私は急ぎ体を拭って、裸のまま仁王立ちでスマホ片手に、記念すべき第一作目をしたためた。
 なかなか面白く書けたので、もっといろんな人に読んでほしいな、そうだ、これを機に140字小説のアカウントを作ろうか、ということになって@arimeiroが発足した次第である。

太陽は喜びでできている。
空は若さでできている。
雲は知識でできていて、風は笑い声、地は優しさ、蒼は幸せ、炎は情でできているのだ。
神父様はそう仰った。
「地球で最も広大で深い海は、何でできているのでしょうか」
私の質問に、神父様は間をおいて、そして低く静かな声で言った。
涙だ。
#140字小説『この星のすべて』


〇140字小説を書くにあたって意識していること
 140字小説には形式がない。140字以内であればどんな話でもいい。面白ければ評価される。
 他の方々の140字小説を読んでみるとその人なりの形式や筋があって、十人十色で面白い。140字だからって侮れないなと思わされる。
 私が140字小説で意識していることは「起承転結」「時節」のふたつだ。
 「起承転結」は物語を書くうえで言うまでもなく大切なこと。私は特に意外性のあるオチ(結)を創り出すよう努めている。なぜか?そういうのが好きだからだ。
 意外性のあるオチを持ってこようとすれば、必然的に起承転結という型が生まれる。出オチはあり得ないし、状況を説明しなければならないし(承)、意外性を持たせるためには裏切り(転)が必要なのだ。たまに、起承転結があって良いとお褒めの言葉をいただくが、別に努力して起承転結を生み出しているのではなく、自然に起承転結になってしまうのだ。逆を言えば、起承転結以外の型で私は書けない。
 「時節」というのは季節や現実に起こった出来事・事件のことだ。
 ツイート画面を開くとうっすら「いまどうしてる?」と書いてあって、私はそれを見るたびに「余計なお世話じゃ」と言葉を吐いているのだが、あらかじめその言葉が書かれていることからもわかるように、Twitterは「なう」、つまり「現在」という時間を重んじている。
 140字小説はTwitterでおこなうものである以上、この「なう」を大切にしたほうがいいんじゃないか?という安直な考えだ。たとえば現実に起こった事件を題材にしたり、テレビで見たことを題材にしたり、季節を意識したり、雨が降っていたら作品内にも雨を降らせてみたりする。
 すべての作品に「時節」を入れることはできないけど、意識するようにしている。書いてなくても季節は必ず書いた時期と頭の中で一致させている。
 

「私は12歳です。病気で8年ベッドで過ごし、友達はインコしかいません。いろんな人に会って、友達がほしかった……。
だから、
私が死んだら、インコを放すように頼みました。そのインコに、私の夢を託すんです」

うちのベランダにいた見知らぬインコはそう呟くと、羽を広げ、南へ飛び立っていった。
#140字小説『鳥になって』

 


〇「ふぁぼ」の難しさ
 ふぁぼやリツイートでツイートは「評価」される。
 これがやりがいにも繋がるし、時には悩ましいものでもある。
 すんごい時間をかけて書いた140字小説が全然評価されないのに、寝ぼけながら書いたようなすらすらしたものが200ふぁぼを越えたりする。意味がわからん。
 このことからわかるのは、力を入れずに無意識から表出した物語が評価されるということだ。無意識の夢みたいなものを加工して物語化すると評価されやすいのだ。無理矢理捻りだして書いたものは評価されにくい。
 

学生寮にいた頃、いつも飴を舐めてる男がいた。
糖尿になるんじゃねぇのなんて噂してたら本当になっちゃって、それからすぐ死んだ。とっくに末期だった。
彼の母親は彼が高校生の頃に亡くなっていて、父親は身辺整理に来なかったから、僕たちで部屋を片付けた。
大量のミルキーが散乱した部屋を。
#140字小説『ママの味』


 Twitterって難しいツールで、つい油断するとTwitterに振り回されたり、生活がおろそかになる。ついついずっと見てしまって時間を無為に過ごしたりして、ついにはいつの間にか夜になってた、なあんてこともしばしば。
 フォロワー数やふぁぼの数に踊らされて一喜一憂したり心をすり減らしたりするのは誠にくだらない。数字でしか価値を見出せない、数字に意味を持たせる、数字のことばかり気にしているとツールが目的になってきてついにはつまらん。
 そもそも書くということと、誰かが見てくれているということと、他人の思考を垣間見れる楽しさをつい忘れがちになるので気を付けたい。

 

 終(つい)。

 

 

 

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