さいきんはめっきり140字小説を書いてなくて、もはや書きたいとも思わず、書いたら書いたでなんかその日は充分にやるべきことを果たし、生きていることを肯定されたかのようなよくない満足感があって、そういうの感じるのも嫌だったし、なんかなぁと思って、なんなんだろこの気持ち、恋ではないことは明らかなんだけど……と一日に何回も思い悩む日が数日続いたのだが(一回当たり5秒は悩んでた)、自分に素直になったときにそうかもう別に興味ないんだ、とわかって、そう認めた日からすごいはやさでTwitterそのものから興味が引けていき、まじでワニが死んだらTwitterやめようかなと思ってた。
自分の良くないところだ。
興味を失ったり、それが終わってしまったら急速に冷めて、埋葬したくなってくる。そうやって交友関係すら蔑ろにしてきた。
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でも自分が過去に書いたやつを読み直してみて、あ、いいなって思える作品もあったし、もちろん駄作ばかりなんだけど自分も捨てたもんじゃないなぁと思えたので、アカウント自体は残すことにした。
ベランダから夕暮れの街を眺めていると、マンションの下で私を指差した男がいた。
— 蟻迷路 (@arimeiro) 2019年8月8日
誰だろう。気味が悪い。男は物々しい顔で私を睨みつけ、エントランスに走った。
来る。直感でそう思った。男はこの部屋に来る。確実に。
私は急いで荷物をまとめ、玄関を飛び出した。あの男はたぶんこの部屋の住人だ。
タイトル『泥棒だ!』
結構気に入ってたりする。
社長がまた猫を拾ってきた。
— 蟻迷路 (@arimeiro) 2019年3月22日
「野良はほっとけない」
これで9匹目。事務所が手狭よ。
社長は猫を陽だまりに載せると、椅子に掛け、机に足を置いた。
猫たちは社長に寄り添いごろごろ甘え声を出す。私は遠巻きに見つめる。
「妬いてんのか?」
まさか。
社長は立ち上がり、私の喉を撫でた。
ごろごろ。
タイトル『私は尻尾もくねらせる』
よく書けてるなぁと思う。
自分で書いた作品を自分で愛せるって幸せなことだと思う。
こういう作品を、これまでの過去を、残しておきたいので、ツイートの整理をしつつ、アカウント管理に今後は徹しようと思う。
たまに140字小説を書きたかったら書けばいい。仕事でもなんでもないんだから、思いついた時に自分が納得できたものを投稿すればいいじゃないか。楽しめなくなったら遊びは終わりだ。
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Twitterの仕様が変わってから、自分のツイートにぶら下げたスレッドがタイムラインに繋がって表示されなくなってしまい、140字小説につけたタイトルも含めて作品だと考える私的にはそれはちょっといただけなくて、なんかその仕様変更以来、急激に冷めた。
他の人の作品についても、やっぱりタイトルと本文が連結してTLを流れていた方が私的にはよかった。
Twitterて即時性が重視されるSNSなので、ワンタッチでもラグがあったり一目で見れないと魅力が半減されてしまう。
嘘やデマを簡単に流せるインターネット上においてハッシュタグ「#140字小説」をつけることは重要である。
どのくらい重要かというと、昔話における「今は昔」とか「むかしむかし」という始まり方くらい重要だ。ハッシュタグ「#140字小説」は「嘘の宣言」なのだ。
信じられない話に思われるだろうが、「嘘の宣言」をしていてもごく稀に真実と勘違いしてトンチンカンなリプライをしてくる人がいるのだ。かわいらしい人たちだ。
140字という制約の中でハッシュタグ分の文字数を確保するのはより厳しい制約になるので、スレッド表示にしてぶら下げたツイートにハッシュタグとタイトルを載せておくことで収まりよくしていたし、それがひとつのスタイルにもなっていたので、仕様変更は残念で仕方ない。
そもそもTwitterの仕様変更で残念じゃなかったことはないのだけど、今回は特に残念だ。
もしかしたらどんどん使いづらくして、ネット依存症を治してやろうとする魂胆なのかもしれない。そうだとしたらTwitterはイグノーベル平和賞だ。すばらしい負の遺産だ。
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TwitterにせよどのSNSせよ、人々の吐き出したゴミカスみたいな意見や愚痴にも言葉の魂が乗っているわけで、情報以前に根本的に存在している言葉の力みたいなものに疲れてしまった。
TLをさらさら流しているだけでも見たくない意見や憎悪やヘイトをどうしても目にしてしまうので、どうすればいいかと言うとTwitterを見ないようにするしかない。
新しいアカウントを作って、そこで ゆるキャラやサンリオや動物の赤ちゃんやえっちなアカウントやネタツイ・アカウントばかりフォローして、心癒すようにしている。
笑と淫こそが邪を祓うのだ。
流れてくる言葉も、ここにこうやって書いた言葉も、言葉には魂が乗っている。
情報である以前に、言葉がどういうものか、こんな時代だからこそ言葉の価値について考えるべきなんじゃないか。
と、SNSから身を引きつつ考えている。勝手なもんだ。