蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

パンケーキを食べるたびに私は悲しくなる

 は少食なうえに食べるのが基本的に遅くて、それがちょっとコンプレックスでもあるのだが、必ずしも遅いわけではなくて、パンケーキを食べるときは尋常じゃなくはやい。
 自分でも気づかないくらいはやい。
 音速。過言じゃない。
 
 パンケーキが提供される。目で見て愛でる。写真を撮る。笑う。香りを嗅ぐ。シロップをかける。もう一度笑う。ナイフを入れる。
 気付いたら皿だけが残ってる。

 こんな感じだ。
 一緒に行った人には「もう食べ終わったの?」と笑われる。
 私は悲しい。
 大好きなものはもっとじっくり食べたい。味わいたい。でも、それがどうしてもできなくて、気付いたら空っぽの皿の前で既に亡きパンケーキを探して呆けた顔で口を開けているのだ。

 パンケーキを食べているときの記憶が私には無い。
 すべての神経をパンケーキに注いで夢中になっており、パンケーキ以外の情報がまったく入ってこないのだ。そのパンケーキの情報も脳に保存されていないので、ほとんどが胃で消化され、結果、どこがどう美味しかったか、ではなく「満腹感」「幸福感」という漠然とした情報だけが残る。そのくらい夢中になっている。たとえ表の通りで自爆テロが起こっても気付かないと思う。避難誘導されても、貴重品は置いてパンケーキは持っていくと思う。
 ちょっと異常だと思う。これって、もはやパンケーキコンプレックスがあるんじゃないか、ってくらい、食べ始めたら執着がある。
 
 パンケーキが提供されると本当に嬉しくて、目が輝いてプリキュアみたいになっちゃうのだけど、同時に私はとても悲しい。なぜなら、このパンケーキは5分以内にこの世から消滅してしまうからだ。喜びが消滅する運命が確定しているからだ。
 じゃあゆっくり食べればいいじゃん、って思うでしょ。
 思うよそりゃ。
 でもさ、できねぇんだよ!

   ゆっくりパンケーキを食べられないの!!
 最初の一切れはゆっくり食べる。毎回早食いして後悔するからだ。
 そして気付いたら皿が真っ白になっている。
 私は唖然とする。
「もう食べ終わったの?」
「どうやらそうみたい」
 同行人が食べ終わるのを私は恨めしく見守る。長い時間、そうしておこぼれにあずかろうと卑しく唸っている。

 早食いを意識しているわけではない。記憶を失って気付いたら皿が真っ白になっているのだ。だから理性では抑制できず、どうしようもない。


 ところで、パンケーキを食べる際、運ばれてきてナイフを入れるまでの間に私は恐れ多くも批評をすることにしている。(読み飛ばし可


「何が一番興奮するって、パンケーキが一番興奮する。間違いない。生地の厚みと香ばしい色合いを見るだけでもう嬉しくてたまらない。バターが溶けかかっているのを見ると、おれはね、バターになりたいって思うんだよ。このなだらかな丘をさ、滑りたいって思うんだよ。今日のパンケーキは生クリームではなくクローテッドクリームなんだね。最近生クリームが胃に重いから嬉しい。クリームをさ、ちょっと舐めてみると、山羊だか牛だか知らないけど、とにかく牧歌的な気分になって、草原の草の香りとか、お日様の乾いた香りとか、空の冷たい透き通った香りとか、そういった深層心理にある心の中の香りがふわぁと広がって、優しい気持ちになるんだよ。やっぱり還るところは大地なんだなぁって思うよ。さてさて、パンケーキの香りもこれまた、もう、これはえっちな香りですね。実に破廉恥でけしからんね。嬉しい。そして悲しいね。いや、性的な興奮ではなくてね、おれはこの香りに「死」を感じるんだよ。なぜかわかる?この歓びは、喜びは、慶びは、近いうちに……そうあと数分で絶えてしまうからだよ。だけど、この、「死」があるからこそ、おれは「よろこび」を享受する資格が生まれるのではないかと思うんぢゃよ。終わりがなければそこに資格は生まれない。終わりがあるからこそ、「よろこび」は「よろこび」になりえるんだよ。これって人生も同じじゃない?おれはね、そう思うんだよ。『死』があるからこそ「よろこび」がある。そこに「よろこび」を享受する資格はある。あはは。さてさて、面倒な御託を並べるのもいい加減にして、ああそうだ、お写真を撮らなければなるまいね。よくさ、パンケーキの写真を撮ってインスタとかにあげる人いるじゃん。いや、別にいいんだよ。おれもそうしてるしね。美味しい食べ物を写真でいいからシェアしたい。自慢したい。わかるわかる。でもさ、そうする以上、絶対に残さず食べなきゃいけないと思うんだよ。なんかの漫画でさ、コラかもわからないけど「おれたちはラーメンの情報を食ってる」みたいなセリフがあって、SNSで食べ物の写真を拡散することはまさしくそれに近いんじゃないかなとも思うのだけど、実際現実リアルでは情報だけでなく、やはり本体そのもの、小麦粉、卵、牛乳、フルーツ、美味しさそのものを食べてるんだよ。インターネットを介した0と1の羅列ではそれを見た瞬間に「完食」が発生するわけだけど、実際は違う。皿をまっさらにすることが「完食」なんだよ。おれたちは情報を食べてるんじゃない。パンケーキを食べてるんだ。0と1の羅列じゃない。0と1の間を食べてるんだ。だから、完食しなきゃいけない。完食できなかったら載せるべきじゃない。情報としての「完食」は食に対する敬意がないからだ。そういう心づもりでなくちゃならんよ。あれ、もう食べ始めてるけどさ、ねえ聞いてた?おれの話」
「はやく食べないよ。美味しいよ」
「うん」

 あとは再三申している通り、空の皿の前で唖然とするだけである。

 

 この病気みたいなパンケーキの食べ方、どうにかしたいな。