蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

パールバック『大地』を読んだ

 ールバックの『大地』(全4巻)を読むのに一カ月以上かかってしまった。

 私は読むのが遅いうえに熱心な読書家でもないから、とても時間がかかってしまったし、古本なので文字が小さくなかなかページがすすまなかった。そもそも、翻訳物が苦手だ。なんか読みにくい。

 

 

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 革命期の中国が舞台のこの大長編は、なんと白人が書いた物語である。筆者は女性で、幼少から青春時代にかけて同時期の中国の動乱の中で過ごした。

 そのため描写からは、貧民や農民の苦痛、中国大陸の広々とした景観や対比されるむせ返るような窮屈さ、革命の理想と矛盾から起こる人々の生活の変化、西洋文化とは大きく異なる中国文化への批判的な眼差しと愛情に溢れているのが読み取れる。

 全四巻は「大地」「兄弟たち」「分裂せる家」の三部構成となっている。

 第一部から始まる王(ワン)家の子孫たちが主人公となって、時代に揺り動かされながらも、悲しみと喜びを獲得していく物語だ。

 第一部「大地」では貧困に苦しむ小作人の王龍(ワンロン)が運と実直な性格をもって富豪になるまでが書かれ、第二部「息子たち」では王龍の三人の息子と特に末の弟の王虎(ワンフー)が軍人となって一国を築き上げる物語が書かれている。第三部はさらに王虎の息子、王淵(ワンウェン)が革命と父の呪縛(古い中国)という矛盾に苦しみながらもアイデンティティを確立していく物語である。

 『大地』はノーベル文学賞ピューリッツァー賞を冠する、20世紀前半に書かれた、一大大長編小説なのだ。

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(※以下、書評興味ねぇ~って方のために、この作品に登場するチャイナドレスの画像を随所載せていきます)

 

 

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 おもしろかったのが、巻数がすすむごとに描写が細密になっていく点だ。

 変遷する主人公たちは時代の流れの中で「学校教育」を受け、シンプルな性格ではなくなっていく。学問があればあるほど、本を読めば読むほど、語彙が増え、さまざまなことを考え、現実を疑い、思春期の葛藤を複雑化させていく。

 まるでその思考の複雑化を表すかのように、外部描写と内面描写が細密になり、舞台と人間関係は広がりを持ちはじめるのだ。

 これは計画的なものなのか、それとも筆者のペンが上達していくだけなのか、定かではないけど。

 

 第一部の主人公が息子を持ち、彼らに学校教育を施すと、長男は野良仕事もせずに部屋に篭りきりになって「くだらないこと」で悩みはじめる。

 それは、野良仕事なんてしたくない、という悩みだ。

 古い人間である父親は「親がやっていたことを息子も当然のようにやるものだ」と決めつけてかかる。それは封建的な考えで、それを打破しようと革命思想が芽生え始めた中国では古い思想であった。その思想の流れが「教育」によって息子にも芽生え始めるのだ。

 そういったクヨクヨした長男を見て、父王龍は思う。

「おれが長男くらいの齢の頃は悩んでいても野良仕事に出ることで忘れることができたものだ。女を手に入れたら悩みなんてまったくなくなってしまった」

 そう。思春期の根源的悩みとは、持て余した性欲とその消化不良により起こっているのだ。

 そんな馬鹿な、と思われるだろうが、なんと長男は結婚して女を手に入れると思考停止し、悩みを忘れ放蕩してしまう。

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 この、性欲、はこの小説の根幹となるテーマの一つであると言えるだろう。

 変遷する主人公たちは、必ず女関係で揉め、女に苦しむのだ。

 女に裏切られ女というものを一切信用しなくなった王虎

 性欲に踊らされていることに気付かずに父からの呪縛である古い中国思想と結びつけるも新しい時代の破廉恥さにはそれはそれで吐き気を覚えて女を批判するも結局のところ女のことばかり考えている第三部の主人公。ウザくて仕方がなかった。

 

 この、第三部の主人公があまりにも面倒な奴で、読むのが遅くなってしまった。

 革命の動乱時代に巻き込まれた第三部主人公淵は、古い中国思想と新しい西洋的思想、それから革命思想に揺り動かされ、理想を求めるばかりで度胸はなく、意見がコロコロ変わってはっきりせず(2ページくらいで変わる部分もあったような気がする)、女関係に潔癖で、うぬぼれ屋でもあり、本当に物語終盤最終ページまで自分が何者であるかわからず、しかも理想の女を手にすることで「自分」を獲得するのだ。

 なんなんだこいつは。

 と、嫌悪感を抱いてしまうのは、物語中で「新しい思想」と呼ばれた脱封建主義が当たり前の生活となった、現代の私たちがかかえるような内面の葛藤を、淵が抱えていて、主人公に自己投影をしてしまったからかもしれない。

 淵はあまりにも私なのだ。私たちなのだ。

 

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 複雑に言葉を駆使して思考する私たちの「悩み」ははたして至極シンプルなことで片付くことがある。それは性欲の解消だったり、お金だったり、束縛からの解放だったりする。

 パールバック『大地』が西洋で広く読まれたのには、まず新世界とも言えるような慣れ親しまれていない中国の文化や風俗が描かれていて旅行記のような性質を帯びていることと、土地が違っても人間の抱える根本的な心の在り方が同じであったということなのかもしれない。

 その心の在り方は、時代が違っても同じものだ。権威(父・思想・力)と「己」の確立、そして大地という母(女)なるものからの束縛と解放、である。

 自分の物語のように読めた。

 

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 個人的に好きな部は第一部で、主人公が畑を耕し土に触れ子どもが生まれ太陽が照り付け飢饉に苦しみながらも実直に畑を耕し大地を愛し感謝することで富豪になっていくそのさまが、シンプルで面白かった。

 

 以前にユン・チアンの『ワイルドスワン』という同じ中国動乱と毛沢東時代のエッセイを読んだこともあり、それと照らし合わせながら読むと興味深かった。

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 チャイナドレス、一周回ってとても素晴らしいですね。