蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

先鋭化に気をつけろ!

 史的な観点から見て、今年のコロナ禍のような世界的疫病流行後は、政治思想が先鋭化しやすい。

 民衆は権力組織に対して体制を揺るがす思想を持ちはじめ、政権は経済不況復興の目的をもって他国に対して経済圧力を加えたり、政治的手段としての武力行動に移るかもしれない。最悪の場合、戦争が手段ではなく目的になるかもしれない。

 第二次世界大戦の背後に世界恐慌があったり、フランス革命の背後に大飢饉があったり、ルネサンスの誕生にペストが絡んでいたり、中国史上数十回にわたり反乱がおきた背景には経済不況や飢饉や疫病が潜んでいる。

 日本でもバブル崩壊後の90年代にオウムが暴れたり、そもそもオカルト的なものが流行したのは、精神的不安と実際的な生活の窮地が生んだものに原因があるのではないか。

 などと、真面目に考える。

 うーん、歴史のお勉強はこういうところで思考の一助になるのだなぁ。

 

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 とはわかっていても、自分自身の思考の先鋭化は止めようがない。なぜなら、思考は生活に根付いて作られるものであり、生活基盤は政治と経済によって成り立っているからだ。

 インターネットのみならず、近しい人たちの間でも今の政権はダメだという論調が強まっている感じはするし、実際にニュースを見ていてもトランプ坊やが中国に報復を考えていることが報道されていたり、あまり明るい話は聞かない。(こういう輩がいると戦争は「目的化」しやすい)

 

 でもまぁ、しょうがないと思う。

 

 この流行病は災禍の側面人災の側面がある。

 自然に起こりうることに腹を立ててもしょうがないので、矛先は人間へ向かってしまう。

 人間はそうやって敵を作らないと自分自身を正当化できないようにできている。「社会」は人間が作っているのだから、社会自体がそうして先鋭化していくのも頷くしかない。

 だからこそ歴史のお勉強をして、無理解に感情的行動をするのではなく、手を取り合いどうしてやっていくかを一人一人が考えなければならないのではないか。などと、ここから先は無責任に理想を語っていく。

 

 市民生活によるお隣りさん同士の規模で世界平和は作れないけど、小さな思いやりや相手を理解しようとする姿勢だけでも輪となり広がっていけば世界は確実に変わるのだ。

 災禍の歴史に教訓はたくさんある。どうしたら被害を少なくできるか、医療はどのように発展してきたか、権力者はなにをするべきなのか。……

 そうして、過去がそうであったように、今の私たちの行動ひとつひとつが未来の教訓になるのだ。

 だけど、戦争や反乱の血みどろの歴史にあるのは教訓ではなく反省でしかない。

 こういうときのために歴史を勉強したんじゃないか。便宜上とはいえ。

 

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 それだけど、まぁ歴史が繰り返すのは仕方がないとも思っている。

 なぜなら、文部省が発行する歴史の教科書に載っているのは教訓や反省の側面よりも「人間は何千年もかけて同じ過ちを何度も繰り返している」というあまりにも皮肉なことだからだ。

 現代の歴史においてもずっと同じことを繰り返している。

 歴史の教科書が歴史教育の無意味さを教えてくれる。

 

 だから。

 だからもう歴史の勉強はやめろ。あんなものは趣味の範囲にしろ。

 国語もやらなくていい。情操教育が役に立つわけないだろう。言葉の勉強をさせるな。思考は言葉によって成り立っている。その根源を断て。

 数学も中三レベル以上のものは「魔術」として扱え。理科教師は魔女狩りにしろ。化学を勉強する奴は特に厳しく取り締まれ。

 音楽だけやれ。音楽だけが世界を救える可能性を秘めている。

 そうしないと、思考が先鋭化して危ない。こんな風に。