我が家に新しいクルマがやってきた。
マツダの赤いコンパクトなクルマだ。
マツダの赤は賢くて思慮深い、落ち着いた色をしている。サンタクロースのトナカイのお鼻みたいな、あるいは台湾のお祭りのような赤ではない。大人の落ち着いた赤だ。私はこれをすぐに気に入った。
仕事から帰り、早速運転してみた。
夜の海沿いを抜けて県道を内陸へ、そのまま大きな駅をまわって住宅街を走った。およそ30分ほどの短いドライブだったけど、充分新しいクルマの性能を知ることができたと思う。あまりクルマには関心もないし詳しくもないけど、運転しやすいということくらいはわかるものだ。
新しいクルマはまだ知らない道を嬉しそうに走った。
彼(あるいは彼女)にとって、この街のなにもかもは初めて見るものばかりなのだ。よく行くスーパーの駐車場だって新鮮な驚きに溢れているのだろう。
この子のエンジン音を聞くとその興奮がハンドルから伝わって、なんだか私まで嬉しくなった。
ブロロロロロ。よしよし、落ち着きなさい。
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父(だった男)が2月に死んで、しばらくは父の運転していたクルマを我が家が譲り受けて乗っていたのだが、もうすぐ車検だし余計にお金がかかるということで、そのクルマを手放して新しいクルマを買った。父のクルマになんの執着もなかったし、だいたい所有は父の会社だったので、面倒なことになりそうだったというのもある。
父とは長年別居していた。
だから久しぶりに父のクルマに乗ったときは、車内に父のにおいが充満していて、なんだか懐かしい気持ちになったものだ。とてもじゃないけど、良い気分ではなかった。
このにおいが大嫌いだった。
父が大嫌いだったことと同じように。
新しいクルマの助手席に母を乗せて、まだ父がうちにいた頃よく一緒に行ったショッピングモールの前やファミレスや街道を走っていると、父の運転を思い出した。
父の運転はひどいものだった。
乱暴で、人通りのある住宅街を恐れのない速度でかっ飛ばし、気分が良ければ飲酒運転もした。
平気で飲酒運転をする父が大嫌いだった。私たちが止めても、母が代わりに運転すると言っても、なぜか父は頑なで飲酒運転をした。大嫌いだった。
聞いた話によると、死の前年、飲酒運転をして交通事故を起こしたらしい。幸い怪我人は出なかったらしいけど、父はとある業界で権威的な存在であるためにスキャンダルの発覚を恐れて、金を積んで無かったことにしたらしい。破滅すればよかったのに。
父の運転で私はどれだけ車酔いしたことだろう。
急ハンドル急ブレーキが当たり前だった。煽り運転や過度の速度超過こそしなかったけど、運転技術の根本的な粗暴さは、彼の人柄をよく表していたと今になって思う。
優しいのに鬼のような冷酷さ。冷静かつ柔和に気が狂っている。そんな男だ。
「蟻迷路の運転は、上手だね」
助手席の母に言われた。
私も運転は得意な方じゃないし、適性検査では最低ランクだった。だけど母にはそう言われたし、だからこそ私は運転に気を付けている。
運転に気を付けるほど、父の影が脳裏をよぎる。ゆっくりブレーキを踏むほど、父の痛ましい急ブレーキを思い出す。
もう父は、父だったあの男はこの世にいないし、父のクルマは売ってしまったし、もうすぐ相続も終わるし、父の影は次第に息をひそめていく日々になりつつあるけれど、ある景色の中に──そこかしこの景色の中に──掴みどころのない甘くて息苦しくて切なく自傷行為をしたくなるような父の記憶が息巻いていて、津波のように押し寄せてきては息苦しくさせる。
どうしてだろう、私が思い出す父は、幻想みたいな優しい父ばかりなのだ。
最低の、最悪の、悪魔の生まれ変わりみたいな男で、虐待こそなかったものの、精神的に私と母と妹を苦しませてきた父なのに、なぜか優しい言葉と笑顔ばかり思い出してしまい、それが胸を締め付ける。
落ち着け。
ゆっくりブレーキを踏み、赤信号で静かに止まって、息を深く吸い込んだ。
すると、新しいクルマのにおいが肺を満たした。
新鮮な砂漠のような、乾いたにおいだった。
ああ、この新しいクルマで、私はどこにだって行けるのだ。
まだ知らない道がたくさんあるのだ。
捨てるのではなく、忘れるのでもなく、痛みを抱きながら知らない世界へ行こう。父の影のない「私の世界」に。
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マツダの赤は賢そうな思慮深い赤だ。私が赤いクルマにしようと提案したのだ。
父はずっと、青いクルマに乗っていたから。