『クレヨンしんちゃん』を小学生の時はよく読んでいた。
今読み返すと小学生にはわからないキワドイ話も多かったり、どうしたらこんな発想になんの?って話も多くあり、臼井先生のギャグ漫画家としての実力の深さがうかがえる。
そんなクレしんでとても印象深く残っている話がある。ミッチーと よしりんの話だ。
ミッチーと よしりんは 野原一家の隣に住む新婚夫婦で、同じTシャツを着ていることからもわかるように、とことん突き詰めたバカップルである。そのあまりのおバカさには しんちゃんはじめ野原一家も頭を抱えるほどだ。
随分昔に読んだのでかなりあらすじは曖昧だけど、書くね。
ある日、旦那である よしりんは自分がミッチーにゾッコンなのを不安に思う。周りの人や同僚の男は女遊びをして、「ミッチーバカ」な よしりんを蔑むのだ。男なら遊ばなきゃ。勿体ないよ、ひとりの女だけなんて。よしりんはそんなことを言われて病んでしまう。自分は普通ではないのではないか?そこで他の女とほんの少しの不倫関係になってしまおうと勇気を出してみたりもする。だけど、どうしてもできない。なぜなら、ミッチーのことを心から愛しているから。そんな自分を情けなく思う よしりんにヒロシは次のように言う。
「いいじゃねぇか!ずっとひとりの女を愛せるなんて!お前格好良いよ!」
このセリフが私の心にずっと残ってる。
かなり随分ものすごく今は昔に読んだのでストーリーも曖昧だしもしかしたら全然違うかもしれないけど、私の要約で話の要諦はおさえていると思う。
生涯ひとりの女を愛するということ。
笑福亭鶴瓶も生涯ひとりの女性、奥様だけらしい。格好良い。
私もそうありたい。
私は現在の恋人に至るまでに、そう多くない数の女の子と付き合った。死にたくなるくらい好きな子もいたし、今夜の夕食のメニューを考えながらペッティングした子もいる。
別れて後こちらから連絡もとらない。とっくの過去になってしまったし、お互いに傷ついてしまった。そして私は傷つけてしまった。
そんなわけで、私は よしりんや笑福亭鶴瓶のような男には、もうなれない。
でも、これから「そうあろう」とすることはできるはずだし、そうありたい。
*****
私の父は典型的な一夫多妻型で、本妻のほかに数人の女性を常に抱えていないと気が済まないらしかった。生まれるのが数百年遅かったのだ。
私の家庭は父の凄まじい不倫によって崩壊し、また、私の家庭は法に触れかねない父の凄まじい不倫によって誕生したのだった。どういうことかと言うと、私は母という名の不倫相手の子どもなのだ。
父は寂しい人間だった。生涯、渇きが潤うことはなかったのだ。
そんな父を持っていると、自然私にも不倫の血が流れているのでそういう道に行ってしまうのではないかと思われるだろうが、安心してほしい、まったく無い。
なぜなら、私は傷つけられた側の人間であり、不倫によって崩壊した家庭がどれだけ地獄だったかを知っているからだ。
そんな感じで人々を蔑ろにしてきた父は、死後、とんでもない目に遭っているが、死人に口なし。そのとんでもないことのひとつというのが、私がこうして世界へ向けて父のことを書いていることである。
父は反面教師だ。
私は絶対に浮気をしない。
それをしたら、大嫌いな父と同じになってしまう。
相手に子どもがいると知っていながら不倫関係にある人間も嫌いだ。誰だろうと関係ない。汚らしくて見たくもない。たとえそれが純愛であれ、事情があれども。
家庭が諸悪の根源になるということをよく理解しておくべきだし、家庭が諸幸福の源であることを、皆、よくわかってないのだ。
愚痴になってしまったけど、とにかく私は浮気なんてしたくない。
*****
このような観点で、私はひとりの女をこれからの生涯かけて愛したい。愛される努力をしたい。
それに、今のところ、他の女を好きになる要素がまったくないのだ。可愛いな、とかエロいな、とは思うけど、一緒に美味しいものを食べたいなとか、夜に散歩したいな、なんてまったく思わない。
もしも他の女を好きになってしまったら、なんて考えられもしない。そんなことを考えるくらいなら、恋人のことを考えて、健やかに眠りたい。同じ月を見ていたい。同じ夢を見ていたい。
ひとりの女を生涯愛せる男は格好良い。
経験人数なんて目にならないくらい格好良い。そんなことは自慢にもならない。
そういう騎士みたいな男に、私はなりたい。
なる。なっていく。