土日の休みを利用して、恋人の家まで車で会いに行った。
片道2時間弱かけて、いくつかの高速道路を走り抜け、知らない土地を4輪で驀進した。
その後恋人を乗せて私の自宅まで護送し、翌日また恋人を彼女の自宅まで送り届け、結局2日間で320kmくらい運転した。
助手席に恋人を乗せて走ると、やさしい運転ができる。
ブレーキのタイミングとか安全確認にいつも以上に注意深くなる。
だけど、恋人の話に耳を傾けていると、しょっちゅう道を間違えてしまう。集中力が無いのだ。ああクソ、と口を零してしまうと、恋人は「まぁまぁ」と慰めてくれる。信号待ちをしていると私の頭を撫でてくれる。
恋人とドライブは楽しいものだ。
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ところで運転していると尿意を催しやすい。
とくに高速に乗ったときは尿意を催しやすい。
「一度乗ってしまったらパーキングエリアまではトイレに行けないんだぞ」という不安があって、心理的な尿意を催す。
それで念のためにトイレに行くとぜんぜん出ないのだからちゃんちゃらおかしい。なんなんだ。
だけど、やっぱり高速に戻ると「したいかも」と思いはじめ「したい」にそのうち変わり、最終的には「無理」になる。
「無理」になると本当に「無理」なので、道路のつなぎ目の節みたいなところを通過して車体ががくんと揺れるたびに膀胱に直に刺激が走り、つい声を出してしまう。
「あぅ」
「いっ!!!!!」
「うわぁあああああああああああ」
「やめてください」
「ほんとうにやめてください」
「”効く”」
「なんやねんコレェ!なんのためにあんねん!!」
「21世紀かよほんとに」
「助けてください!」
「やめてください・バージョン2」
「ほんとうにやめてください・バージョン2」
挙句には念仏を唱える始末。
念仏を唱えて尿意が去るならこの世になんの苦労もない。念仏とは苦を祓うためにあるのだから、念仏がある限りこの世から苦厄はなくならない。
そうしてなんとかパーキングエリアまで耐えて、トイレへ駆け込む。
運転は尿意との戦いだ。
深夜バスの運転手はすごいと思うし、なんなら乗客もすごい。いくら休憩はあると言えども自分の意志で降りることはできないのだ。
深夜バスの乗客はみんな空のペットボトルを持ち込んでいるのだろうか?そうでもしないと不安は拭えまい。皆一様に「万が一」を覚悟しているのだろうか?すごい。
運転前は必ずトイレに行くようにし、すこしでも膀胱に不安が残っていたら、高速道路のパーキングエリアを事前に調べておくとすこしゆとりが持てる。
たぶん、ふつうになんらかの精神疾患なのだろう。「トイレ不安」は満員電車に乗るときも映画を見るときも常につきまとっていてストレスになる。
高速道路っていうか、尿意に拘束されているんだなぁ。
はい。