蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

一人称なに使ってる?

  はブログやTwitterでは「私」を称して使っている。

    その理由は「私」を使えばなんか知的っぽいかな、と思っているからだ。(わたし)ではなく(わたくし)なのでご留意を。

    それに「私」は中性的でよい。

    私はストレートな男で、女が好きだし男に性的興奮を覚えないけど、男だから〜とか女だから〜って考え方は好ましくなくて、それぞれの好きな性を尊重し区別はつけつつも差別は嫌だなぁと感じていて、異なる性同士足りない部分や過剰な部分を補いあえるような社会になれば楽なのになぁ、と思っているのであるが、ちょっと本筋から外れたな、要するにあまり性別に縛られるというのも前時代的なので、中性的な「私」を使うことにしている。

 

    それにしたって、日本語には一人称が多い。思いつくだけでこれだけある。

 

僕、私、俺、ワシ、アタイ、ワテ、ワイ、拙者、拙僧、あたし、吾輩、我、己、朕、うち、じぶん、あちき、などなど。

 

    日本語は表現が豊かだ。

    「僕」にしたって、「ぼく」「ボク」と表記を変えるとその一人称を使う者の人物像が違ってくるのでおもしろい。

    「僕」を使うやつは根暗そうだし、「ぼく」を使うやつはエロくて悪いお姉さんにちょっとここでは書けないようなことをされそうだし、「ボク」を使うやつは相棒のビーグル犬とひと夏の冒険に出そうだ。ぜんぜんピンとこない例えの数々である。あくまで私の感覚だ。

    「俺」にしたってそうで、「オレ」と「おれ」はまたニュアンスが変わってくるし、「私」も「わたし」「あたし」「わたくし」では全然違う。

 

    ↓

 

    小学生の頃作文を書かされたときに、一人称は統一すること、と教わったせいだろうか、一人称を統一して書く人は多い。

    間違ってはいないのだけど、なんだか勿体ない気がする。

    公的な文書やレポートでは、たしかに一人称を統一した方が、というか「私」以外は使わない方がいいけど、小説やたとえばこのような不埒なブログでは、一人称を統一する必要は必ずしもない。

    せっかくいろんな一人称があるのだから、いろいろ使ったほうが得だ。

    そのとき考えていることやその場のノリや雰囲気に合わせて、真面目な、ときには不真面目な場面で、一人称をコロコロ変えるのもおもしろいじゃないかと思う。

    そう思うので、私は自分の小説のキャラクターの一人称をときどき変えてあげるし、このブログでもときどき「おれ」を登場させる。

    なんなら、日常生活でも「僕」「私」「おれ」「ミー」「ぼくちゃん」など使い分けもするし、ふざけて使ったりもする(ちなみに二人称はほとんど「貴様」を使っている)。

 

    でもね、生活でも文章でも、あまりコロコロ変えてると、その人が人格分裂者みたいに見えるから気をつけた方がいい。

    精神破綻者だと思われるかもしれない。

    あるいは、喜ばしいことに、もうそうなのかもしれない。

    

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    新しい一人称を創出したくて私が考案したのが「僕°」である。

    なんて読むかわかるだろうか?

 

    (ぽく) だ。

 

    随分前にためしにTwitterに載せたところ、全然ウケなかったのでお蔵入りになったこの一人称だけど、諦めてないよ、いずれは小説の中で使っていきたいと思う。だけど縦書きだと「僕°」を表記するのは難しい。使うのはもっと難しい。そんなところ。

 

    せめてブログの中だけでも使っていこうか。

 

    僕°はきょうもお仕事を頑張りました、みたいな感じで。

    破綻者と思われるだろうか。

 

    あるいはもう、そうなのだろうか。