蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

背もたれのある素晴らしさ

ちでは座椅子ソファを使っている。

その理由はいろいろあるのだけど面倒くさいので割愛するとして、妻と二人暮らしの我が家では二人掛け用の座椅子ソファを、同棲をはじめた2年半前から使っている。

しかし、私が勢いよく背もたれに「バン!」ともたれかかっていたことが功を奏したのか──あるいは禍(わざわい)となったのか──使用して1年半ほどすると背もたれがぐずぐずになって機能しなくなり、もたれかかると「がががが」と不気味な音を出して180度に開ききってしまい、椅子として機能しなくなった。

巨大で無骨な座布団と成り果てたのだ。

どの角度に設定しても耐えきれずに不穏な音をもって180度に開ききってしまい、もはや修復も困難になったので、2022年になってからは「巨大な座布団」として使用していた。

 

なにごともマイナス面から捉えるとよくない。新人を教育するときは良いところを褒めてから注意をした方が穏便に済む。子ども叱るときもまずは理解を示してから指摘するように。だから、座椅子として機能しなくなった座椅子ソファのいいところをまずは挙げておこうと思う。

部屋の立体感が損なわれて、なんだか空間が広々とした印象になったのはよかった点だ。背もたれによる立体感がないので、視界が開けた。

それに、まぁまぁ寝られるやわらかさなので、お昼寝でベッドがわりに使うのにちょうど良かった。座椅子ソファを置いているリビングには間取りの都合上、私のシングルベッドが置いてあり、寝たいときはこのベッドで眠ればいいのだけど、シングル故に二人で眠るのは多大なストレスを伴う。なので、妻か私のどちらかがベッドを使うときは、もう一人がこの座椅子座布団で眠った。

「ベッドよりも寝心地が悪いから、深く眠らなくていい、お昼寝とかにちょうどいい」と私は評価した。

さて次に悪かったところ。

なんと言っても、座椅子として機能していない点だ。

背もたれが無いので映画を見るときやゲームをするときは、長時間座っているのがとにかく苦痛だった。

背もたれを開発した人は本当にすごいと思う。人間工学に基づいた需要をよく理解している。背もたれがなくなってからその素晴らしさに気付けた。

悪かったところはこの一点だけなのだけれども、これがポジティブな面を上回って我々に少しずつストレスを与えて、日々を絶望的な景色に変えていった。

 

だが、私はそれを甘んじて受け入れた。

座椅子ソファは2万円弱なので、正味、そこまで高い買い物ではないけれど、私はケチった。新しいソファを買いたくない。意地だ。

「簡易ベッドとして使えるじゃない」「のっぺりしていて可愛いよ。おれは昔から一反木綿が好きだったんだ」「わぁ!溝の掃除がしやすい!」「逆に、いいよね」

などと盛り立てて妻の気をそらし、現実を受け入れてハッピーに暮らそうと努めたのだが、しかし、このたび、妻の怒りが爆発した。

「どうしてわたしが家に友だちを呼べないかわかる?」

「え、なんだろう。コロナだからかな。気にしなくてもいいよ。おれが邪魔なら、ぜんぜん実家帰ったり外出するし」

「ちがう」と言って指をさす。

「え?」

「こいつが恥ずかしくて呼べないんだよ」

妻が指をさしたのは、私が寝ころんでいた役立たずの座椅子座布団であった。

「背もたれが壊れてる座椅子を重宝して使ってるなんて友だちに知られたら堪らないでしょうがっ。はっきり言って異常。頭おかしい」

異常。

落第者。落ちこぼれ。馬鹿。能無し。

我が家の悪運はすべてこの座椅子座布団によって引き起こされていると言わんばかりの猛烈なシュプレヒコールだった。

「すげー汚いし」

たしかに、座面にはこぼしたアイスの染み、ソースの染み、チョコレートのカス、ポテチの油汚れ、ハナクソ、耳クソ、爪垢、涙、よだれ、血液のほとばしった染み、精液のにおいなどが染み込んでおり、衛生的にはスラムの路面となんら変わりない状態である。私はここに、嬉々として寝ころんでいたのだ。

「新しいソファを買わないなら、離婚も考える」

そこまで言われたら、もう、彼女の言うとおりにするしかなかった。

 

だいたい、私は自分を偽っていた。

背もたれがない汚い座椅子座布団という現実から目を背けて、プラス思考で生きようと無理をしていた。

妻に「捨てる」宣言をされたことで、肩の荷がふっと下りた。

 

新しい座椅子ソファをすぐに買い、ろくでもない巨大ひし餅は、区の要請に従って、アパートの前に捨てた。一度決めたら呆気ないものだった。

アパート前のアスファルトに置かれた菱餅は見るからに異質そのもので、「本来ないはずのものがそこにある」不気味さは「あの世」の光景に見えた。街灯の下で佇む異様な綿の塊は、なにか、象の死体のようにも見えた。はやく回収されてほしい。路上生活者に痰を吐きかけられても仕方がないような有様だった。

まもなく、新しい座椅子ソファが来た。

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背もたれがあるというのは、ほんとうに素晴らしいことだ。

肌触りもやさしくていい感じで、ずっと座っていたい気持ちにさせる。色も可愛くて、茶色を基調とした部屋に緑は映えるので気に入っている。

これで、妻が友だちを招待できることだろう。

私は背もたれの陰からそっと見守りたいと思う。