蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

滋味ブログ

 頃、身の回りやフォロワーに入院する人や病気になる人が多発しており、なにかと心配だし心淋しい。

 「入院しました」とか「搬送されました」のツイートは心配の意だとしてもいいねしづらいし、コメントしようにも逆に気を遣わせちゃうかな、、、となるから忖度。

 この世が生の世界である以上、どんなことも生きていてこそ、健康、ウェルネスだからこそだよなぁと思う。

 実は私の母も甲状腺に異常があったらしく、今は検査結果待ちなのだ。母も家族もなんだか気が重くてよくない。ますます病気になってしまいそうな雰囲気だ。

 

arimeiro.hatenablog.com

 

 以前にもブログで書いたが、「病は気から」ということわざはあながち過言でもなくて、鬱屈した気配や思い込みや言葉が時として病気や体調不良につながることがある。

 まぁ、ことわざは結果論かもしれないけど、「病気なんだ」と思ってしまって心が塞ぐよりかは「大丈夫大丈夫」と心易くあるほうがいいだろう。

 心には臓器のように目に見えるかたちがないけれど、たしかに身体と繋がっているのだ。養老孟子バカの壁でそう言ってたような気がする。

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 こういうときこそ、身の回りの小さな幸せを見つけたり、笑うことが大切だ。

 小さな幸せはそこかしこにあって、たとえば天気が良いこととか、空気が冷たく透き通っていることとか、美味しい食事とか、そもそもお腹いっぱい食べられることとか、ほんのすこし目線を下げたり視点を変えれば幸せは見つかって、心の温度を上げてくれる。

 笑いは与えても減らないし、お金もかからないし効果も抜群な健康の基礎だ。いくらでも笑えばいい。いくらもかからない。とても楽しくて気持ちの良いことなので、食卓では妹とアホな話をしたり小さな幸せの話をするようにしている。

 そうするとなぜか食事もいつもより美味しく感じるものだ。

 

 って書けば簡単なことだが、人間は本質的に孤独だから病気の人や病気の不安のある人を完璧に理解して癒すことは難しい。

 でも、愛情をもって接することこそ、孤独感を慰める対抗手段なのだろう。

 だからいくらでも笑うし、小さな幸せを見つけてあげようと思う。

 

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 私にできることなんてそのくらいで、せめて可笑しい話でも書いて笑わせてあげられればいいのだけど、こういう時に限ってなんの話も思いつかない。だいたい、文章で人を笑わせるのって棒高跳びくらい難しいのだ。

 帰りの電車で、なにか面白い140字小説を書こうと苦心したけど、どれも書いては消してしまった。

 お地蔵さまが転んだ子供を見て笑っている話。

 墜落する飛行機の中で「ビーフorチキン?」と訊かれる話。

 貝を割る話。

 ガムをどうしても飲み込んでしまう人がハイチュウだけは飲み込まない話。

 えんぴつを舐めまくる部長が鉛中毒になる話。

 

 どれもこれもなんだか笑うというか、心がざわざわするものばかりで、ああ私には才能がないのだな、と落ち込んでしまった。

 もうやめよう。

 だけど、たぶん、こういう誰かを想ってやる営みが、誰かの滋味になると信じている。結果はどうであれ。

 

 せめて祈る想いでこのブログをしたためた。