ついに私の部署でもテレワークがはじまり、今日は自宅で仕事をした。
パソコンを持ち帰るのは正直言って面倒だが、「やれ」と言われたので仕方がない。
村上春樹だったらテレ・ワークと表記しそうなので、今後はそれに準ずることとする。
テレ・ワーク、テレ・ワークと世間は叫んで憚らないが、英語圏ではリモート・ワークと言うらしい。
またしても、日本英語が生まれてしまったわけだ。
「テレ」の音がなんともダサい。
オーウェルの『1984年』には「テレスクリーン」という常に市民を監視するテレビが登場するが、その影響もあってか「テレ」の音にはどこか古めかしい、昭和的な響きの印象を受ける。
まるで、昭和の子どもが描いた「50年後の日本」の絵に登場してそうなワードである。
たぶん、テレ・ワークの語を考案した人は昭和人なのだろう。
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私の仕事はあまりテレ・ワーク向きとは言えないため、今日ははっきり言ってやることがなくて暇だった。
午前中はTwitterを自分のiPhoneで眺めたり、本を読んだりして過ごした。
午後になって先輩に資料整理をするように指示されてエクセル・ファイルを貰ったが、「ほんとうにやることがなくて暇でしょうがないときにやってね。急ぎじゃないし、優先度:低です。」とメッセージが飛んできたので、すぐにやる気を失ってしまった。
でもまぁ、やることがなくて暇でしょうがなかった私はそれに取り組むことにした。
するとどうだ、データ整理はたいへん面倒くさいもので、関数を組んでもセルにデータが2個入っていて参照できなかったり、整合性のないデータだったりして、作業は遅々として進まない。
いろいろ試みたが、結局、関数ではなく自力でデータ入力するしかなく、途方もない作業量に頭がくらくらした。
優先度が低くて良かった。
その作業もそれなりにして、メールを返したり、Twitterを見たり、ギターを弾いたり、今日はぜんぜん労働じゃなかった。
寝ても大丈夫だったのだろう。
だけど、いつ上司にTeamsやSkypeで呼び出されるかわからないのでパソコンの前にきちんと座り、膨大なエクセル・ファイルに向かうしかなかった。
なんとなく監視されている、行動を制御されているという点では「テレスクリーン」と大差ない。
結局、電話はかかってこず、Skypeも呼び出しもなかったので、定時にテレワークを終了した。
だから寝てても大丈夫だったのだ。
こんなことで給料を貰っていいのだろうか?
やる気はあってもやることがないのなら仕方がない。
テレ・ワークの実用性はほんとうに職種によるなぁと思った。オフィスで働いてた先輩方が、テレ・ワーク社員の「欠員」のために非常な忙しさであったのならなんだか意味がない。サボるためにテレ・ワークしたいわけではないのだ。
じゃあオフィスでバリバリ働きたいかと問われれば、私は元気よく首を横に振るだろう。
若干の良心の呵責があるだけで、働かないで金を貰えるのならその方がいいに決まってる。