禁煙生活も一週間が経とうとしている。
最初の2日間は破壊衝動がすごくて、ともかくそこらのものを無慈悲に潰したいと思っていたけど平日になってから衝動は抑えられ、むしろ波が引いた後のような寂しさがまとわりついている。
口が物寂しくて、家にいるとずっとお菓子を食べてしまう。
それでは極大に太る可能性があるから、指をしゃぶるようにしている。情けない話だけど、指をしゃぶるとすごく落ち着く。
だぅだぁぶ。だぁだだぁ。ぱぁぷ。わぃわん。
つい喃語(なんご)が出てきてしまうほどだ。
禁煙とは関係なく、ストレスで前頭葉の7割が縮小し、幼児退行しつつあるのかもしれない。
冗談はともかく、煙草を喫したい想いはふとした時に襲ってきて私をたまらなくさせる。 なんか、こう、なんていうんだろな、ガニ股で前後不覚になりたくなる。
ここで一息涼しくなれたらどれだけ素敵だろうと思う。
さわやかに風を吸い込めたら、春はもっと楽しくなるだろうな。そう思う。
やれやれ、ニコチンなんて可愛い名前のわりに恐ろしい存在感じゃないか。喪われたことによる不在感をこうも感じるとはね。
煙草をやめたことで失われたもの。
夜に煙草を切らして買いに行けずイライラする時間。
熱いコーヒーの焙煎された香りと煙草の香りの入り混じった排泄物みたいな口臭。
吸殻。
小銭入れの520円玉ぶんの空白。今までは2日にいっぺん520円ぶんの空白が生まれていた。
部屋や服にしみついたニオイ。
吸いすぎによる頭痛。
向けられる白い目。
肩身の狭さ。
吸うための配慮。
喫煙時間。
喫煙時間に伴うやる気の喪失。
などなど。
煙草をやめたことで得られたもの。
破壊衝動。
寂寞感。
イラつき。
こう書くと、失われたものがいかに多いかわかる。
禁煙てはたしてどうなんだろうな、と思いたいけど、思えない。
会社の先輩に煙草をやめたことを告げる。
言ってしまった以上、やめるしかない状況に自分を追い込んだ。
先輩は、そうか、と寂しく言うと、みじめたらしく背中を丸めて春風の中で煙を空に溶かしはじめた。なんて切ない趣味だろう。火葬場じゃあるまいし。
私は昼休みにやることもなくなったので、会社の近くの川辺を歩き、砂利を踏み、草を踏み、せせらぎを聞き、鳩を追い散らかして遊んだ。社会人である。
歩いて行くと、公園によくあるバネのついた遊具(ビヨンビヨンと私は呼ぶけど正式名称はわからない)があって、愚かなパンダと猥雑なコアラの見た目をした2機のうち、コアラの方に乗って、びよんびよんユラユラしてみた。
スーツで、革靴で、猥雑なコアラに乗ってどこへも行けないなんてこの世の終りみたいだった。
すこし酔った。
年齢のせいかもしれない。まだ24歳なのに。
戻ると、先輩はまだ背中を丸めて煙を空に溶かす高尚な遊びをしており、これもやはりこの世の終りみたいだったけど、あの白くて細い棒に火を点けてちゅうちゅう吸うのはさも旨そうで、よっぽど土下座をして一本頂こうかと雑念が降りかかったが、首をびよんびよん振って雑念を退散させ、私はオフィスに走り戻った。俗醜な人間のようにユラユラして。