蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

私の左手の中には恋人の右手がある

  土曜日、2カ月ぶりに恋人に会った。お昼ご飯だけ一緒に食べた。

 2か月ぶりの東京・新宿はかつて考えられないほど空いていて、通る人すべてがマスクを着用し、いたるところにアルコール消毒が設置されていた。

 新宿駅構内も空いていて、数十メートル先の広告ポスターを肉眼で確認できるほど人はまばらだった。通常だったら前を歩く人の背中しか見えないのだ。

 

 2か月ぶりに恋人と会う。

 むしょうにドキドキした。初めてデートをした時もこのくらいドキドキしただろうか。

 彼女はどんな服を着てくるだろう、私の格好は変じゃないだろうか、2カ月経って体型とか変っちゃっただろうか、私は変なにおいがしてないだろうか(最近は足が臭いので敏感になっている)、髪型はおかしくないか。

 当たり前に会っていた時はもはや気にも留めていなかった些細な心配に落ち着きがなくなり、待ち合わせの間、『斜陽』を読んでいた。ぜんぜん頭に入らない。

 はたして恋人はやって来た。

 ノコノコノコ、スタスタスタ、と改札を抜けて、なんていうか、私は彼女の歩く姿がとても好きということを思い出した。

 

 初めてデートしたときのように、むしょうに恥ずかしい。

 私たちは言葉も少なに、すぐに手を繋いだ。

 全身の毛根がひらくような、細胞が眠りから覚めるような、甘美で刺激的な冷たいやわらかさ。

 毎晩のように電話しているけど、やっぱり実際に会うことには敵わないのだな。

 

 目の前に、すぐ横に、恋人がいる。マスクを外せば甘いにおいがする。初夏らしいすてきな服を着ている。かろやかに歩く。綿あめの雲の上を歩くならこんなステップだろうなって歩き方をする。

 私たちは街を歩いた。

 

 新宿の街に、初夏の風が吹いている。日差しは強いけど、ビルの影にはいると少し肌寒いくらいで気持ちがいい。私たちが最後に会ったのは春の真ん中だった。季節はいつの間にか夏になっていた。

 私の左手の中には恋人の右手がある。

 どこの店もシャッターを下ろし、伊勢丹やルミネは全面立ち入り禁止になっている。右翼だか左翼だかわからないけど大声で演説をしている。誰も足を止めない。たくさんいた浮浪者もなぜか姿を見ない。

 私の左手は恋人の右手がそこにあることを確かめるように、なんども、なんども強く握る。

 「Tokyo2020」のポスターがはがされないまま、忘れられたくないように色褪せながら はためいている。何月何日オープン!なんて書かれたカラフルな広告に、ワードソフトで急遽書いた「延期のお詫び」の紙が、あらゆる口惜しさを物語って、濡れて破れかけたまま張り付いている。

 私が強く手を握ると、恋人も強く手を握り返す。

 二人で街を歩く。

 

 世界はまたきっと動き出せる。恋人の手を握りながら、そう確信した。