馬鹿な女たちを観察する。
後ろからまじまじと観察してやる。本のページ越しに、行間を読むようにじっくり、じっとり、女どもを観察する。ついでに、その隣に座っているカップルも観察してやる。そうして「圧」をかけてやる。
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夜のラーメン屋は混雑していた。
友だちが薦めてくれた人気の店である。
昨日は8時から労働をし、16時半に一度仕事を切り上げて、18時半から都心に出て、20時過ぎまで打ち合わせに参加した。
金曜日ということもあって疲れていたし、なによりも腹ペコだった。
その友達の薦めてくれた店はちょうど会社の近くにあったので、行ってみることにしたのだ。
20時半ごろ、店に到着し、店内に十名ほど並んでいたが、かまわず入店した。ラーメン屋は回転率が早いので、十名並んでいたところで大して時間もかからないからだ。
まぁ、待って十五分くらいか。
私は食券を購入して、列の最後尾に並んだ。こういう待ち時間に本を持っていると豊かな気分になれる。内田百閒を読んだ。
21時ごろ、私は相変わらず列の最後尾にいて、しかも一名も先に進んでいなかった。
いったいどういうことか。
腹ペコじゃないか。さまざまな要因が複雑に絡み合い、このような悲劇を生んでいた。
まず、例によってコロナの影響を受けて、席数を半分に減らしているということ。
次に、店の提供にえらく時間がかかるということ。太麺を使用しているので茹でるのに時間がかかるのだ。
そして、客が馬鹿ばかりだということだ。
それによって回転効率が悪くなっているのである。
並ぶ私の前のカウンターに座っていたのは女二人だった。私と同い年くらいの、社会人になって2~3年といった風貌の女どもである。
女性(にょしょう)は油麺が提供されるや否や「テンション上がる~!」「マジうまそう!」などとみっともなく盛りあがり、ひとしきり写真を撮ったあと、さらにまたワイワイ盛り上がってくすくす笑い、え~なにかかける?と卓上のコショウや一味や酢をべたべた触って、え~どれにしよ~え~迷う~(笑)と得意の優柔不断を繰り出し何が面白いのかまたくすくす笑ったのち結局、まずは何もかけずにいくわ、と不断の覚悟をしてようやく箸を手に取った。
煽ってんのか。
こっちは30分並んで、まだ一人分も進んでないんだ。
はやく食え。
その後も女性(にょしょう)は一口食べるごとに謎の盛り上がりを見せ、ペースは遅々として進まない。女性(にょしょう)は食事の際、よく喋る生き物であることが多いが、この二人もそういうタイプで、身振り手振りで大いに盛り上がっている。
油麺(スープの無いラーメン)なので麺が伸びることはなさそうだが、それにしたって冷めて麺の鮮度が落ちるではないか。
むこうの席では怪しげなカップルが座っていて、女がチルチル麺を啜るのを、男がニヤニヤしながら見ている。
男はなにやら知識の話をして、女は「へぇ~そうなんですか!」と相槌しつつ啜る。
男は一生懸命喋り、女は夢中になって麺を啜る。ひじょうな憐れだ。どうやら二人の目的は異なるらしい。
どちらにせよ私が言いたいのは、「はやく食え」ということである。
ようやく列が少し先に進んで、さらに30分くらい待った。
女性(にょしょう)の二人はこの頃になると口をつぐんで、モグ、モグ、と食べていた。驚くべきことに、提供から30分経ってもまだ食べ終わっていないのだ。
あれだけ喋っていたらそりゃそうなるし、ここの麺は並みでも量が多いのだから女性には厳しいだろう。お腹いっぱいで味の濃いものを食べることほどつらいこともない。だからはやく食べるべきだったのだ。こうなると憐れに思えてきた。
一方、カップルはすでに食べ終わっていたが、まだ席に座っていた。
男の方は相変わらずニヤニヤしながら話しかけ、女性はスマホをいじりつつ相槌を安く売っている。
食べ終わったならはやく出て行けよ。ここはラーメン屋、戦場だぞ。
戦場で、塹壕の中で女を口説く馬鹿がいるか。貴様それでも兵士か!
女性だってもうここを後にしたそうではないか。これだからお前は「こんな」なんだよ。
私は空腹のあまり、すでに人類のすべてを憎んで、自己嫌悪に陥り、すべての客の背中を睨み、自分の過去を清算して死にたい気持ちになっていた。明らかに冷静さを欠いている。手ごろな地蔵を破壊して回りたかった。なにが「こういう待ち時間に本を持っていると豊かな気分になれる」だ。悲しいじゃないか。貧しいじゃないか。
カウンターの客共に「圧」をかけた。惡になってもいい。そうも思った。
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21時半、ようやく私は席につけた。カウンターは広く、冷たくて清潔だった。
事前に注文していた麺は案外はやく提供され、さっそく欲望のままに貪った。食前に時間をかけたくない。ここまでいくら待ったと思ってるんだ。
なるほど、おすすめするだけあって、美味い。美味い。
美味い、が。
一時間も世界を憎んで、自分を卑下して、死にたい気持ちになってまで食べるほど美味しいか、と言われるとそうでもない気がする。
なにか、美味しさに邪念が入り込んでくるのだ。
背中がぞくぞくして、至福の味わいを阻害するのだ。
背後を振り返ると、店内に並んだ客が、私の憐れな背を睨みつけていた。
「はやく食えノロマ」「男だろ。とっとと食え」
そう言わんばかりに。
とてつもない「圧」に文字通り気圧され、これは私が浴びせていた憎しみが私自身に返ってきたんだと、昔話ながらに反省して、とっとと麺をすすり、ただちに店を後にした。
夜風が冷たかった。