人間は愚かな生き物だ。
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ラーメン何が好き?と訊かれると、私は家系と答える。
家系ラーメンというのは、おうちで作るラーメンではなくて、横浜家系ラーメンというジャンルの、つまりそういうやつだ。
どういうものかというと、豚骨や鶏ガラから取った出汁に醤油のタレを混ぜた「豚骨醤油ベース」のスープ、太麺と、ホウレンソウ、チャーシュー、海苔のトッピングで構成される家系ラーメン[3]を出す店は、日本とアジアを中心に約1000店舗あるとされる[3]。そのうち、横浜市内には、約150店舗あるという[4]。 家系ラーメン店では、味の濃さ、スープの脂の量、麺のゆで加減を調整して作るなどのサービスが行われていることが多い[3]のである。
ヴィーガンに食べさせたら首をくくるかもしれないけど、それだけ多くの動物のエキスが詰まっているのであって、塩分を抜きにすれば栄養価はかなり高い。風邪のひきはじめは家系ラーメンを食べると良い、なんて話も聞く。
多くの家系にはトッピングとしてニンニク、豆板醤、生姜などが用意されており、食べつつ味変を楽しむことができる。
ニンニグをウガウガ入れてズゾオオオオと啜るとウマイ。
罪!!!!罪罪罪!!!!そんな味がする。
疲れた日に無性に食べたくなる。
完全に塩分の暴力。脂肪分の暴挙。炭水化物の暴政。だが、それがいい。罪を摂取することで私は無垢になっていく。
家系は米と一緒に食べなきゃ、食った気がしないもんである。
麺をすすり、米を食らう。炭水化物を炭水化物で食べるなんて、ビールをチェイサーにウィスキーを飲むようなものだ。必ず後悔する。
米に豆板醤を塗り、スープの染み込んだ海苔で巻いて食べると、これまた罪。胡麻があれば振った方が格段に罪。
はぁ、はぁ、うまい、うまい、うまいと勢いで食べていると、しかし、突然「その時」はやってくる。
私の場合、5分の三をすぎたあたりでやってくる。
飽き、である。
猛烈に飽きる。
もうこれ以上食べても得るものはないし、むしろなにかを失っていく気さえする。どんぶりのなかには濁った罪だけが残り、私は息を切らせながら罰を胃袋に押し込んでいく。
なぜこうなるのか?
それは私が、少食だからである。
これまでに何度か少食の苦痛の話を書いたので、興味あったら読んでみてほしい。
こうなってくると味変しても苦痛になって、さっきまでの──ほんの5秒前までの──天国が地獄の有様で天獄って感じになる。何を言っているのかわからなくなってくる。
まだご飯も残っているし、麺も残っている。なんとかして残さないように腹に入れていく。お冷を飲む回数が増えていく。これは腹の容量を無駄遣いするので飲まない方が良いのだが、お冷で口直しをしないと、満腹の腹に味の濃い脂っこいものはどうしても入ってくれない。肉を切って骨を断つ。
こんなに美味しいのに、私は悲しくてたまらない。
はやく終わってくれ!と泣きながら完食を目指す。ラーメンが塩辛くなる。
どうしてあんなにニンニクを入れたのだろう?
罪!!!じゃないよまったく。今じゃ罰だよ。
あんなにニンニグ~って興奮して入れたからこうなってるんでしょうが。ニンニクの香りが食欲をむしろ減退させてるでしょうが。
なんとか食べ終わり、ふらふらしながら店を出る。私は「ごちそうさまでした」と言うことを欠かさない。
路地を歩きながら、二度と食べるもんか、と心に誓う。
胃からせり上がるニンニクのにおい、融けた動物たちの死骸のにおいに吐き気を催す。水を飲みすぎてちゃぷちゃぷしている。私はラーメンに溺れ死にそうになる、毎回。
二度と食うか。
これを何回思ったことだろう。
まったく不思議なのだけど、それから2、3日も経たないうちに、また「食べたい」という欲求が増殖していく。
あれだけ苦しんだことも忘れて、濃厚なスープで全身を脂まみれにしたいと思い始める。スープを体に沁みこませたい。浸透圧で。きっと死ぬだろうな。死にたいな。
そうして再びラーメン屋へ行き、再び「二度と食うか」と半べそかいて店を出る。
そんな人生を繰り返している。
家系ラーメンは違法薬物よりもよっぽど危険だ。高い依存性がある。もしかしたら、「そういう薬」が入っているのかもしれない。ニンニクの中に。
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人間は、愚かなのだ。
最後に、おいしそうに楽しそうに家系ラーメンを食べる有名な動画を載せておきます。