蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

フライパン忌

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頭から汚い画像で申し訳ない。

これは私の家のベランダに放置している、使えなくなったフライパンだ。

不燃ごみに出したいのだけど、隔週だから次の指定日までこうしてベランダにとりあえず置いている次第で、早く捨てたいと切に願っている。

 

表面のコーティングが剥がれて無惨になったところをしばらく使っていた。焼そばをやると麺が立ちどころに白烟を出してフライパンに焼き付き、ハンバーグはありえないほど焦げて半壊し、焼き魚は皮がべりべりと剥がれ……などたいへん不便をしていた。

焦げ付いたその様は「宿命的悲劇」とか「東京大空襲」とか「盧溝橋事件」とか不穏な五文字熟語で喩えられた。

ある日極めて危険なにおい、悪臭が発生し、「これはあかん」と即座に火からおろしてベランダに遺棄した。これで調理したものを喰らったら腹を壊す。最悪、よくわからない病気になって全身麻痺し、仰天ニュースに取り沙汰される。ベランダに遺棄することに迷いはなかった。

 

遺棄したその週末に新しいフライパンを買った。

 

新しいフライパンは軽くて扱いやすく、焦げ付きにくく、非常に使い勝手がいい。

「買ってよかった」と恋人も喜んでいる。

「それにくらべて前のやつは、ねぇ……」と含みを持たせる。

「はっきり言って、使いにくかったよね。重かったし、コーティングも剥がれてたし」

「あの表面ヤバかったよね。呪詛、って言葉が浮かんでくる見た目だった」

「あ、あんまり大きい声で言うと、ベランダに聞こえちゃう……」

「あわわ……」

ベランダにいるフライパンが聞き耳を立てて我々と新入りのフライパンを恨んでいるかもしれない。

 

夜、そっとベランダを覗くと、彼は隅の方でじっと夜空を見ている。

その姿は憐れと言うほかなく、「フライパン」+「ベランダ」という異常な組み合わせの光景がこの世の理不尽、不条理を体現していて「ああこれからおれは本当に捨てられちまうんだ、もうこの家庭にとっておれはどうだっていい存在なんだ」って腐った気持ちが伺えてくる。やけっぱちになっている。ヤケになってるのかもしれない。フライパンなだけに。

一方で、そのヤケの裏側には諦念の雰囲気も見て取れる。

お暇を告げられ、現状を飲み込み、最後の日々を風にあたりながら楽しんでいるのだ。

昼間に降った雨が、ガビガビになった鍋底に溜まって、夜空を反射している。

傷を癒す帰還兵のような遠い目をする彼に「お疲れさま」と労う言葉が場違いに響く気がして、私はそっとガラス戸を閉めた。

 

 

今週、不燃ごみの日がある。

さよならの代わりに、このブログを捧ぐ。