蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

物語を消費する生き物

人が出がけに「本を持って行く」と言った。

天変地異でも起こるのか?

彼女が本を読むことはとても珍しい。

「読書の秋だからね」

そういえば昨日も彼女は吉本ばななを読んでいたし、どうやらそういうモードらしかった。

 

ところで彼女は本を読むのがとても速く、遅読の私にはとても羨ましい。

私が100ページ読む間に彼女は倍くらい読んでしまうのだ。

しかも遅く読んでも速く読んでも理解度はそんなに変わらないので、私も速く読めるようになりたいものだとコツを聞くのだが、「速く読むだけ」と言う。

「私は物語の先に進みたいから。それだけ」と。なにも参考にならない。

読みたい本がたくさんあるから、私も速読の練習でもしようかしら。

さいきんはとにかく人生の時間が無いことに焦っていて、とてもこの短い人生では読みたい本を読みきれる自信がないのだ。時間は有限、知識は無限。ブックオフ

 

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「おすすめの本はある?」と恋人に訊かれた。

「できれば読後に爽やかな気分になれるもの」

私は本棚をざっと眺めて、読後爽やかな気分になれるものを探した。恋人は女性作家が好きなので、特に女性作家で、読後爽やかな気分になれて、読みやすいもの……

 

……ほとんどなかった。

 

そういった本を恋人はほとんど読んでしまっていたし、女性作家の残る作品は村田沙耶香と今村夏子といった「さわやか」とは距離を置いたところにいる方々のものばかりっであった。

いや、読後爽やかというか、日常の些細な悲劇を通して得られるカタルシスというかそういった捻りのある爽やかさはもちろんあるのだけど……。

恋人が求めているのは激辛料理を食べた後に汗が少しずつ冷えて風が吹いたときに感じる達成感にも似た爽やかさではなく、ピスタチオアイスを食べたときのような清涼感と爽やかさなのだ。

 

そもそも、文学作品で爽やかなものってあまりない。

三島由紀夫の『潮騒』は汗臭くて爽やかだったけど、恋人はもちろんそんなものは求めていない。

私は太宰の短編集を薦めたが(短編集には爽やかなものもあったはずだ。「満願」とか)、恋人は「古いのはちょっと……」と言って、結局他の本を持って行った。

太宰は古いけど新しいんだ、と語る隙も無かった。

 

私はもっと爽やかな、愉快な小説をたくさん読むべきかもしれない。

そういった小説ももちろん魅力だし、読むと面白いのだけど、なかなか手が伸びなくて、どういう物語かも知らずにジャケ買いしたものやタイトル買いしたものはたいてい暗い話ばかりで、結果として本棚に収まるのはどちらかというとカタルシスによる爽やかさに至る物語ばかりになってしまう。

 

 

私たちはヨロコビを求めて悲劇を愛する。

悲しみに立ち向かうために喜劇を欲する。