蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

イケメンになりた~い!

校の知り合いにものすごいイケメンがいて、入学式の日に私は「なぜこんなところにこんなイケメンがいるのだろう?」と疑問に思ったものだ。

のちのち他の友だちもみんな「なぜここにイケメンがいるのか?」と同じ疑問を抱えていたことを告白してくれたことで、人は本当のイケメンを見るとその美しさよりもまず「存在に疑問を抱く」ということを知った。

 

360度どこから眺めても美しく、グラウンドの端から見ても際立つのがわかるし、眼球を彼の頬に擦り付けるように見つめてもやはり美しいのだからとてもかなわない。

彼の周りにはいつも爽やかな風がそよいでいて、彼に見つめられた多くの女の子はその小さな胸の中にそよ風が侵入し、やがて嵐となって吹き荒れ、目をハートにして一瞬のうちに恋に落ちてしまう。間近でそういう女の子をたくさん見てきた。

休み時間には他のクラスの女の子がうちのクラスの前の廊下にたむろして、ガラス戸の向こうから彼を見つめている。

体育祭の終りに他の学年の女の子が彼に近付いてきて、「一緒に写真を撮ってくださいませんか」と声をかけてくる。私や友達は女の子からカメラを預かり、ツーショットを何枚か撮ってやることに馴れていた。何回か撮影料をせびったが、あまりにも悲しいからやめろと友だちに非難されたこともある。悲しい生き物はここにいます。

 

しかし、その「イケメン旋風」に迷惑していたわけでもないし、嫉妬していたわけでもなくて、仲間内にイケメンがいるのは気持ちがいいものだったし、ふつうの良い奴だったし、面白い人だったから、イケメンだからというよりも、ふつうに仲間としてつるんでいたのであった。

でもまぁ、イケメンはいいよな、と思うことはあった。

有無を言わさぬイケメンであるということ。

一日でいいから有無を言わさぬイケメンになって、街を歩いてみたいものだ。

 

ちなみにイケメンの彼には妹がいて、その妹もかなりの美少女らしい。

なんなんだこの一家は。

 

「大切なのは外見じゃなくて、中身なんだ」ってあながち間違ってない。ギョーザも春巻きも中身は大切だ。

中身はもちろん大切だけど、それはそれとして、イケメンにはなりたいでしょうが。

いまは正論を聞きたいんじゃなくて、地割れするほどのえげつないイケメンになって、街を歩いたり、写真を撮られたり、女の子や女の子ではない者共をキャーキャー言わせたい、という話をしたい。

 

「僕はたくさんの女の子と寝てきたけど……でもさ、あの子たちはみんな、僕の外見ばかり見てさ『僕と一緒にいる自分』が好きなだけで、ちっとも僕の中身のことや、悩みや、好きなことに耳も目も傾けてはくれないんだ。僕を連れまわして、流行してる映画を観て薄い涙を流し、流行のフラペチーノを飲んで僕の影と一緒に写真に収め、少し高いイタリアンかフレンチをその味の価値もわからない貧困な舌で舐め、友だちの悪口を言っているうちに終電を逃して、僕の身体を我が物顔で食い尽くす。そのくせ僕が少しでもヘマをしたり、おかしなことを言ったり、自分の話をしようものなら、『あなたってつまらない人ね』なんて言って去っていくんだ。僕を理解しようとする努力もせずにね」

 

私はそういう話をしたいのではないし、そんなことはわかっているんだ。

だから「一日だけ」イケメンになって街を歩きたい、と言っているのだ。