蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

本、何冊読んだ?

を読むスピードをあげたいなぁ、と常々思っている。

本屋へ行くと読みたい本が多すぎて嬉しく思うと同時に、ここにある本のすべてを読めはしないのだと昏い気持ちになる。

「『エジプト考古学研究史』上下巻か、面白そうだけどこれよりも先に読みたい本があるんだよな。アビール・ムカジーのシリーズものを読みたいまずは」

「『中世社会の暮らしと信仰』めちゃくちゃ面白そうだな。おれは中世社会のことが気になって仕方がなかったんだ。これ買うなら坂口安吾はいったん保留にするか……」

などと購入の際に取捨選択が生ずる。

読書のスピード以外にも金銭的な問題があるのでこれはしょうがないことだ。

 

一日一冊読んでも年間365冊。

読みはじめて「文体合わねぇ~」ってことがあるので読みきれる本はそこから少し減る。

一日一冊なんて、本の厚さにもよるけどほとんど無理。読むのが遅いから。読むのが遅いし、日中は仕事があったり家に帰っても細々とやることがあったり、疲れてしまって読書に向かう気力が無い日も多々。

休みの日にぐっと読む。休みの日なら一日一冊かその半分はまず読める。

と、計算してみると私は年間100冊読んでいるかどうか危ういところだ。

もっと読みたい。

時間があり余っていた大学生の頃にもっと読んでおくべきだったんだ。

ちぇ、汚い発想だ。過去に責任転嫁してやがる。

こんな思ってしまう時点でもう大人、汚ねえ大人なんだ。ちぇ、つまらん。つまらん。

 

たくさん本を読みたい感情が次第に「読んだ冊数」を気にするようになってしまったのがいちばん嫌だ。読書なんて好きなペースでいいはずだ。

読みたい本がたくさんあることは幸せなことだと思おう。私はまだまだ物語に触れていたいし、知識を欲している、そう思える心をもっている。その情緒はとても文化的で豊かなものなのだ。

 

本を物凄いペースで読むし、文章もすごく書くし、ゲームしたりアニメ見たりしてる人ってなんなのだろう。一日が36時間あるとしか考えられない。いいな。私だって進撃の巨人のアニメを見続けたいし、「ルーンファクトリー5」をやりたいし、ウマ娘に興じたい。

安直だけど、速読、ちょっと試してみようかな。

速読を習得してよりたくさん本に触れられるなら嬉しい。投資だと思ってさ。

でも習得できなかったとき、それに費やした時間で何冊本を読めたか換算してしまいそうで……。

 

でも試しにやってみようかな。ブログのネタになるかもしれない。

(慢性的なブログのネタ不足にも悩んでいる)