恋人が本を読んでいる。
ミステリー小説だ。
あえてタイトルは言わないけど、その本は巧妙な叙述トリックのミステリーとして知られ、私も5~6年前に読んだとき、呆気にとられるほど驚いたものだ。
恋人がそれを熱中して読んでいる。
ソファの上で背中を丸めて、のめり込むように文字を追っている。
「面白い?」
訊くと、
「かなり面白い」
と言う。
そりゃよかった。
彼女はそのミステリーが叙述トリックものだと知らずにストーリーを純粋に追いかけて愉しんでいる。だからミステリーとも思わず、サスペンスだと思っているかもしれない。
いいなぁ、とおもう。
正しい叙述トリックミステリーの楽しみ方だ。彼女は「ラスト1ページのどんでん返し!」とか「あなたは必ずもう一度読みたくなる!」といった不必要な帯すら目にしていないのだ。
どんな物語も(映画もドラマもゲームだって)、一度経験してしまったら二度目からはそのなぞりになってしまう。二度目には二度目の面白さがあるけれど、内容が鮮烈で衝撃的であるほど、一度目の感動を味わうことは二度とできない。ただなぞって、慈しみ、細部に思いを馳せるだけだ。
記憶を消してもう一度楽しみたいということは、人と物語の数だけある。
「なんか、だんだん、なんだろう、なんか読み間違えてんのかな?」彼女は言う。
叙述トリックではお馴染みの""だんだん話の辻褄が合わなくなっていく""段階に入ったようだ。
ああ、言いたい。
トリック。
教えたい。
その主人公、実はさ……。
それをこらえて「ああ、なんかそういう話なのよそれ」と言うに止める。
いいなぁ。
全身で物語を楽しんでるんだなぁ。
ミステリー小説、そういえば最近めっきり読んでいなかった。
読みながらトリックを考えるから、それなりに疲れてしまうのだ。
トリックを考えながら読むけれど、トリックを自分で明かしたいわけではない。
逆にわかってしまうと、興醒めして、オチだけ読んで「答え合わせ」して読み終えることもあり、すごく不毛な気分になる。だからできるだけ難解で、よくわからない方がいい。もっとも、私程度にわかってしまうミステリーなんてそうそう無いけれど。
でもそれ以外にどうやってミステリーを楽しめばいいのかわからない。
ミステリーはハマると止まらなくなって、夜更かしがぜんぜん苦じゃなくなる。一度入り込むことができれば熱中しやすいジャンルだとおもう。
それだけに、オチ・ネタへの期待値は高い。
彼女は今読んでるそのミステリーに、満足してくれるだろうか。
きっと読み終わったらどこがどうすごかったとか、騙されたとか、いろいろ話すのだろうな。
私は初読のときのあの熱を、彼女から受け取れるだろうか。