蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

横溝正史の合本版/電子書籍の読み込み端末問題/紙の本の価値

溝正史の金田一耕助シリーズの合本版をDMMブックスのセールで買ってからずっと読んでいなかったのだけど(買って満足した)、最近ようやく第一作目の『八つ墓村』を読みはじめた。

 

横溝正史はハードカバーの「単行本」を売らずに、新刊から廉価版の「文庫本」で作品を発表した人だと聞いたことがある。

本来小説というのはまずハードカバーを売り、数年して購入数が落ち着いた頃に文庫で再発行するものだが、横溝と角川出版は大衆小説の新刊を高価なハードカバーで売るよりかは最初から手に取りやすい文庫で売ることで読者の購買意欲の邪魔をせず売り上げを伸ばす戦略を取ったのである。

結果は上々。日本の推理小説史に残る大作家となった。ただ横溝自身は自作がハードカバーで残っていないことを後年になっても悔やんだとも聞く。

ちらりと聞いた話なので間違ったところもあるだろうが、だいたいそんな話だ。私の記憶違いでまったく別の作家の話だったかもしれない。

 

電子書籍の合本版は文庫本のさらに廉価版なので横溝が知ったら噴飯するかもしれない。出版スタイルの話を知っていればこそ、この合本版には皮肉めいた価値もある。

それにしても電子書籍だからこそ1万2000ページ以上の文量を片手に持てるというもので、いい時代になったものだ。これが昔だったら玄奘三蔵法師みたいに本を担がなきゃならなかった。

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ただ、100ページ読んでもまだ全体の1パーセントに満たないので、永遠に終わらないように思えてならないし、作品の区切りがわかりにくくて『八つ墓村』の終りも見えず、読むのは少々至難な思いである。私は本があとどれだけで終わるのかを確認しながら読むのが好きなのだ。

 

電子書籍と紙の本をおよそ半々くらいで読んでいるが、どちらにもいいところがあり、どちらにも悪いところがある。

私はKindleとDMMと紀伊国屋青空文庫の4つの電子書籍アプリを駆使しており、それぞれのセールを常にチェックして(青空文庫はセールもなにも無いが)たびたび本を買いあさっては積むなどしている。(電子書籍は積んでもかさばらないところが素敵だ)

これらの電子書籍Kindle専用端末で読めればいいのだけど、ファイル拡張子が異なるため読み込めないし、アプリもごちゃごちゃしてきたので一つに統合したいのだが、これもやはりできない。

スマホで読むのはなんだか肩が凝るのでせめてKindle端末で読みたいのだがそれは難しそうだ。だからKindleサイズの端末を買うしかなさそうだが、それもなんだか違くて、Kindleの紙に近い画面表示が好きだからどうしてもKindle端末で統合を実現したい。

 

当然だけど、紙の本で読んだ方が、本を読んでいる実感が伴う。

私にとっては電子書籍は本としての物を読むというより、情報を頭に入れていくニュアンスの方が近い。だから評論とかこうした合本とかライトノベルみたいなものばかり電子書籍で読んでいる。あとは文庫化されていない新刊とか。

紙の本で読むときは、ちゃんと本を読みたいときだ。

スペースを取り、重さもあり、インクのにおいがして、かさばる紙の本はいまや一種の「ブランド」みたいな雰囲気を持ち始めている。なにか特別な、素敵なものなのだ。