蟻は今日も迷路を作って

真面目な話からそうでない話まで。本当の話から嘘の話まで。蟻迷路(ありめいろ)という人が書いてます。

令和にそぐわない電球

イニングの電球が切れた。

実家の電気はほとんどLEDになって久しかったので、このアパートに引っ越してから久しぶりに「電球が切れる」事象に遭遇し、何とも懐かしい気持ちになった。そうだった、電球とは切れるものなのであった、と。

 

さっそく近くの電器屋に行きLED電球を購入。付け替える。これで向こう数年は替える必要がなくなった。

とおもいきや、他の電球がまた切れた。これはいっそすべてのシーリングライトの電球をLEDに替えた方がよさそうである。

電球は切れるという点でなんともいえない儚さと情緒があるものだが(情緒が無いという説もある)、不燃ごみで捨てるのが面倒くさいし、電力も使うし、その点で環境的にも経済的にもよろしくないので、今の時代にそぐわない、すでに前時代的なものと言えるだろう。

この令和において、電球が切れていて良いわけがない、とすらおもう。

これからはLEDだ。発光ダイオードだ。明かりを灯せ。夜を駆逐しろ。

だけどLEDはデザインが武骨でなんとも「私は明かりを灯すためだけに存在しています」と言わんばかりの、マニュアル人間的というか、ただ照らせばいいとでもおもっているつまらない存在で、結果に至るまでの過程の「遊び」を知らない感じがする。その点でLEDには確実に情緒がない。

要するに、もう少しいろいろ種類が欲しいよね。

赤く焦げていくフィラメントの見える電球みたいなLEDとか、クリスマスツリーの飾りみたいなやつとか。

 

。……

って調べてみたら、ありました。そういうLED。

調べれば調べるほどLEDの種類は多く、すでに単なる電球は駆逐されつつあることがわかる。

きっちり需要にこたえようとする人類。さすがは資本主義的動物。

こうなったらただの電球はもう要りませんね。今後は漫画でキャラがひらめいた時に頭の上で点灯するのも豆電球ではなくLEDになるでしょう。そうやって人々の記憶からも損なわれる運命にあるのだ。ざまあみろ。

 

 

替えた電球は不燃ごみの日に出し忘れ続けている。

切れた電球を家の中に置いておくと不吉なので、ビニール袋に包んでベランダの隅に放置しているのだ。

不燃ごみは奇数週か偶数週の火曜日、あるいは木曜日(忘れた)のどこかで捨てることができたはずなのだが、このように収集日が頭に入っていない有様なので不燃ごみを出す習慣がついておらず、正規の収集日も失念してしまって、今週も出し忘れた。そして悔しい思いをして、ベランダの隅でくすぶっている電球に寒々しい感情を抱くことになる。やはり切れた電球は不吉だ。

 

こういうこともあるからより寿命の長いLEDをすすんで使うべきだ。

LEDじゃない電球は、経済にも、環境にも、精神衛生上にもよろしくない。