蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ナスカの地上絵が描かれたシンプルな理由

婚をすると夫婦で刺青をいれる風習がある。

僕たちはお互いが自分のパートナーであることの証に、それぞれの腕や背中やお腹に、二人だけのデザインを彫るのだ。

 

またこれは誓いの証でもある。

誓いを肉体に刻み込み、太陽のもとにさらして生活することで、生涯ただ一人のパートナーを愛すると我らの神に誓っているのだ。

 

「どんな図柄にするんだい」

婚礼儀式の前礼拝で彫師に声をかけられた。「うちなら安くしとくよ」

「まだちょっと悩んでるんだ」

「この人ったら、いくらでも図案を描いては消しちゃうんです。だからなかなか決まらなくって」僕の妻となる人が困ったように眉を寄せて笑いながらそう言った。

 

本当のところを言えば、彼女は僕の考えた図柄をどれも気に入ってくれないのだ。

「だって一生、残るのよ。神に捧げる祈りの図柄なのよ。私たちの愛の証なのよ。それをあなたね、サルのデザインなんていやよ」

だからって君の提案した、僕たちの名前の入ったハートに矢が刺さってる図案も どうかとおもうよ。まるで昭和みたいじゃみたいじゃないか。

 

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婚礼の祭壇で、僕らは左肩の下に刺青を入れることになる。

占い師によれば、この夏の、日の入りの時刻の礼拝であるならば、二人の誕生日差から考えた場合、左肩の下が最も幸運に輝いているということだった。

 

儀式まであと3日に迫っていたが、まだ図案は決まっていなかった。明日にも彫師に提出しなければならないのに、アイデアの尾の先すらも掴めず、彼女も「もうなんでもいい気がしてきた」とすでに投げ出し、彫師に任せようと言い始めた。

だけどそれは危険だ。彼らは案外いい加減なのだ。彫師に任せたら羽の生えたスパゲティの図柄を入れられた夫婦を知っている。羽が生えていなかったとしてもそんなのまったくごめんである。

 

「刺青なんて」と彼女はへそを曲げる。

「刺青なんて、生きてる間だけのものよ、どうせ。私たちの証は神のもとに誓約されるけれど、それも太陽のもとにいるときだけ。生きているうちだけ。死んでしまったら土に埋められて、二度とお日様は拝めない。ねぇ、それって、とても悲しいわ。きっと冷たくて、暗くて……あなたとは離ればなれ……。誓いは認められず、永遠の約束じゃないのね……」

「なんてことを言うんだ。そんなことないよ」

「私、怖いの。なんだかとても」

「婚礼の儀式が近づいてて、ちょっとナイーブになってるだけだよ」と僕は言ってしまってから、しまったとおもった。

彼女の泣きそうな目は言葉以上に心を語るものだ。

 

さて、僕が彼女の言葉足らずな心に寄り添える日は来るのだろうか?

永遠の誓いを残すために何をしてやればいいだろう。

ともかく僕にできるのは、刺青の図柄を早急に完成させることだった。

 

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僕たちの未来は神話の星々の物語に比べたらきっとちっぽけなものだ。

 

だけど、偉大で幸せなものであるはずだ。

比べようもなく幸せで、そもそも「幸せ」に比べるものなんてない。

僕たちがいかに小さくとも、些細なことでも幸せにおもえて、分け合えたらそれでいい。

僕たちならきっとそうなれる。あの小さなハチドリにもそれができるのだから。

手のひらほどのハチドリが庭にやってきて、キナの花の蜜を吸っている。

小さな花で渇きを潤し、胸を満たし、香りを味わうことの喜びを、あの小さな体でハチドリたちは充分に知っているのだ。

 

僕は彼女を傷つけてしまうまで、どんな言葉をかけたらいいかわからないままかもしれないし、彼女は僕の人知れない苦労と気遣いに感謝の言葉を一度もくれてやらないかもしれない。

だけどそれでもいいんだ。

僕たちは小規模な幸せを守るためにお互いを許し合い、愛し合うことを刺青にして誓うのだから。

刺青は死んだら消えてしまうけど、誓いは消えない。そして、誓いの証を遺す手立てはある。

永遠に遺す方法を僕は知っている。

 

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婚礼の日、僕たちの左肩の下に彫られた図柄は、ハチドリだった。

小規模な幸せの偉大さを祈りに込めて。その祈りを妻に話すと、彼女はとても気に入ってくれた。

「私たちの幸せの証となりますように」

妻はまだ血のにじんでいる僕の左肩にそっと触れ、その隣に口づけをした。

あたたかい鼻息が証の傷口を撫でた。彼女の左肩のハチドリを見て、それが丘のすそで大きく羽ばたく姿に思いを馳せる。

 

まだ妻に言っていない秘密がある。

なぜならまだそれが完成していないからだ。

 

近頃、大地や丘に巨大な絵を描く業者が出た。なぜそんなことをするのかよくわからなかったが、神殿から依頼された図柄や意味深い図形を大地に小さく描く儀式が昔からあったようで、その技術を使って広大な土地に大規模な絵を描くという。

ふつう、権力者が家紋を地上絵にして残したり、芸術として宇宙的な力を込めて残すものらしいが、たとえば夫婦の契りをあの丘に大きく残したっていいじゃないか、と僕はさっそく業者に相談をした。子供の描いた猫の絵を地上絵にした富豪だっているのだ。

 

下絵を渡してから完成には2週間ほどかかるという。

「理論上、神の"裁き"がくだる"再生の日"まではこの大地に残ります。この星が割れない限りは」

まだ若い窓口の男はそう言い、保証書まで説明してくれた。

完成までは、このことを秘密にしておきたい。

きっと驚くだろう。半分は呆れるかもしれない。でももう半分は喜んでくれるはずだ。

僕たちの小規模な幸せの証は永遠にこの地上に残り、後の世の人々にも幸せを分け与えるだろうから。

そしてすべてが終わる日が来るまで、太陽の神は僕たちの証を見守ってくれる。

 

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もうひとつ、妻に内緒にしていることがある。

この地上絵のお値段が30年ローンということだ。

これは永遠に秘密にしておかなければならない。