蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

反面教師から学ぶこと

れって誰しもあって、なりたい人物像みたいな、目標とする・尊敬する人を持てるということはひとつの幸福だと思う。

たとえば恩師がいるって幸福だ。

「先生」と呼べて親しくできて可愛がってもらえて、学問以上にその人の生きざまみたいなものを学べるのは、一生にひとつ持てるか持てないかの人間関係だ。

 

逆に、こういう人にはならないようにしよう、という反面教師的な人もいる。

意外と反面教師から学ぶことは多くあって、さいきんは職場でその人から多くのことを学んでいる。

 

先輩は、嘘つきだ。

しかもすぐにバレる嘘をついてしまう、頭の悪い嘘つきだ。

嘘をつく以前にバレている悪事や怠惰について、ただこちらは認めさせて白状させて、状況を整理し事態を把握するために説明を求めているだけにも関わらず、あえて先輩は嘘をついて誤魔化そうとし、有耶無耶にしようとする。

だけどバレているので、上司の機嫌を損ねて場の雰囲気を最悪にする。

しみったれたプライドを守るよりか、とっとと白状をした方が先輩にとっても立場はそこまで悪くならないものを、どんどん状況を悪化させる。

わざとかと疑ってしまうものだが、わざとではなく、ただただ頭が悪いのである。

そういったことを繰り返した結果、誰からの信頼も得られなくなってしまった。

 

その先輩のどこがどう悪いとか、説明することははたして難しい。

外面はよく、フットワークも軽くてよく動き、判断力も速いので、別のチームの人からは好印象を持たれていて評価は高いが、同じチーム内では「最悪」と評価されている。

なぜなのか?

先輩はなぜ「最悪」なのか、しかしながら、説明が難しい。

一朝一夕に先輩のひどさを理解できるものではなく、長い時間をかけて、この人は仕事以前に人間的に終わってるんだ、ということを心で理解(わか)る、そういう種類のものなのだ。

 

そのひとがついに現場を異動することになった。

先日詳しい異動日が知らされ、その先輩のいない場で、現場の引継ぎや後任の教育スケジュールなどが話し合われたのだが、同じチームの私を含めた上司や他の先輩はにこやかに話し、次来るのはどう人なのかと想像し、ようやくいなくなってくれるんだなと愉快に話した。

バディを組まされていた私はとても嬉しかった。

ただただストレスだったから。

だけど同時に、悲しくもあった。

自分がこの現場を去るとき、先輩や後輩たちにこういう風に話されたら……そう思うと笑顔がひきつった。嫌いな先輩にも家族がいて、母親がいて、友だちがいて、あるいは恋人がいて(とてもいるとは思えないが)……そう思うと胸が締め付けられるようだった。

 

私は誠実に働こう。

がんばらなくても、一生懸命やろう。

努力をしなくても、工夫をしよう。

もうすぐ去りゆく先輩から学ぶべきことはまだまだたくさんありそうだ。