蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

あなたに会いに仕事へ行く

社してなにが楽しいかって昼食くらいのものだけど、あとは強いて言えばそうだね、あれを見るのが楽しい。

「なんか最近ちょっといい雰囲気の男女社員」を見るのが楽しい。

いい雰囲気、というのは、つまり、LOVEのことだ。

とくに別のチームで動いている他人の仲がそうなるとおもしろい。乳繰り合うのを今か今かと期待して会話に聞き耳を立てる自分がいる。

 

私とは別のデスクの島の、要するに他のチームの男女が最近、いいかんじだ。

二人は私の一年上の先輩と私の同期である。同期と言っても出向先の社員なので私のクライアントにあたる。

二人は日中の業務中はあまり言葉を交わさずそれぞれの課題と向き合っているのだが、人がはけて彼らの上司や先輩が去るとぽつぽつ言葉を交わしはじめて、ときどきくすぐったそうに笑い、キーボードになにかを打ち込むふりをしながら仕事とは全く関係のないプライベートなことを話すようになる。

昼ごはんに何を食べたとか、近所の商店街で誰を見たとか、ゲーム機を買ったこととか、実家を出たいこととか。

私もキーボードになにかを打ち込むふりをしながら、二人の会話に聞き耳を立てている。(こうして客観的になって書いてみると心底気持ちが悪い男である)

二人はお互いの業務が終わるまでそのように喋りながら時間を潰し、仕事が終わったら私への挨拶もそこそこに水鳥のように連れ立って帰っていく。

 

どちらかが出社しているとき、もう片方も必ず出社している。

どちらかがテレワークなら、もう片方もテレワークだ。

もはや二人にとって会社とは終業時間後の逢瀬の場でしかないのかもしれないし、すくなくとも私にとって会社とは二人の様子をうかがい知るための観察小屋でしかない。ブンブン・LOVE。

でも二人がそういう関係なのか、それともこれからそういう関係になろうとしているのか、あるいは単に先輩と後輩の仲なのかは、しかしながら確かめようもなく確証は得られない。私の妄想がたくましいだけかもしれないし、私の勘が鈍いだけかもしれない。私の勘の精度は素人のスリーポイント・シュートくらいだ。

でも決まるときは決まる。

 

「職場恋愛はやめたほうがいい。悲惨な目に遭う」

私の先輩は遠い目をして自らの過去を述懐する。

「うまくいけばそれでいいけど、おれみたいになると……」

先輩の恋愛昔話はいつもそこで終わってしまう。言わぬが仏なのだろう。

職場恋愛の悲惨さは私にも覚えがある。

前に同じチームにいた先輩(さっきの先輩とは別の人。軽薄で無責任で嫌いだった)が派遣の女性に手を出していたのだが、派遣されてすぐに猛アプローチしていた節操のなさや、その女性がまったく仕事を覚えなくて役立たずだったことや、そのせいもあってすぐに契約を切られたこと、それから女性はいろんな男と遊んでいたらしいことなど、考えられうる悪いことが重なったことがあり、その長く短い契約期間の2か月は最悪の雰囲気で、挙句の果てには昼休憩の時間が終わっても二人が帰ってこないなどとても大人とは思えない醜態をさらすなど、やれやれ、その先輩の直属の後輩であった私は一年目にして職場恋愛の弊害の洗礼を浴びたものだった。

これはやや特殊な例かもしれない。

 

職場はまず人間関係より「仕事」がメインの場所であって、場と人の存在のアイデンティティは「仕事」に根付いている。そこには仕事に対する責任が大小ある。

だから職場の恋愛は難しいのだろう。失敗しても仕事はしなくてはならないし、うまくいっても浮かれているとそこは職場なのであまり相応しくない。

どちらにせよ職場の雰囲気で救われることもあれば滅びることもあるだろうけど、その環境を作る責任は社員一人一人にあるわけではない気もする。結局当人同士による。

 

まぁでも、いい雰囲気の男女を観察するのはおもしろいものだ。ストーリーがあり、詩情があり、会話に鼓動と血の通う体温がある。

二人の関係がすすんでいくようなら平和裏に幸せになってほしいものだ。