蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

日曜夜22時30分、最後の抵抗

が風呂から上がると彼女は肢体をベッドに放り出してうつぶせになり、たぶんそのまま窒息死を試みていた。

「風呂あがったよ」

ぁぃ」殊更小さなその返事にはもう何もしたくない、明日が来なければいい、そんなニュアンスが含まれている。

 

明日は待ちに待った月曜日です。

 

日曜夜22時30分、最後の抵抗がはじまる。

 

 

彼女はベッドからすべり落ちるとそのまま座椅子ソファにうずくまり、「たまごになっちゃった」と言って静止した。

「たまごになっちゃったの?」一応私は訊く。

たまごになっちゃったの、って結局何も言っていないみたいな答え以外に得られるものはないと知りつつ、それでも一応私は訊く。なぜなら、ここで無視すると彼女はすねて不機嫌になり「わたしのことはもう愛していないのね」とやたら事を大きく解釈して寝る前に呪詛を唱え始めるからだ。そうなると堪らない。

彼女はうずめていた頭を上げ、ぼさぼさの髪を広げて、「今日はイースターだったんだよ」と言った。

へぇ。

イースターにまつわる洒落のひとつでもあればよかったのだが、あいにく不勉強でなにも閃かず、私が「へぇ。」と虚空に音を漏らすとまた彼女は身体を丸めて たまごになった。

 

彼女なりの闘いなのだ。

嫌悪の月曜日との憂鬱の格闘なのだ。

彼女はいま「仕事イヤイヤ期」らしく、細かなミスが続いてなんだか冴えないらしい。

私も繁忙期でやることは山積みだし、朝は相変わらず鬱っぽくなって固形物は一切喉を通らないのだが、日曜の夜は意外と元気である。

なぜなら、現実逃避しすぎてこの時間を日曜の夜とは信じられず、明日などと言ったものは永久に来ないとかたく信じているからだ。明日が来るなんて太陽が西から上るよりもあり得ない事。地面から雨が降るようなもの。明日は永久にやってこない。死者が蘇らないように。

マッチ売りの少女が極寒の雪の中、幸福な幻を見ている状況と似ている。事の深刻さに現実を受け入れていないため楽観的で、苦しむ彼女に ほよよ?と首をかしげる始末。

 

そういうわけで、彼女の煩悶と苦闘を冷静に見つめられている。

彼女が座椅子ソファの背をしばく。どす、どす、と重い音が案外響いて、下の階の住民に迷惑ではなかろうかと少し心配になる。

「ほんとうに憂鬱なの」と彼女は今にも泣きそうに言う。明日が来るくらいなら世界が滅んだ方がいいとさえ思っている。希望はいらないから絶望もいらない、と。

彼女の追いつめられる表情を見ていると私まで不安になってくる。

今は土曜の夜だと思い込んでいるけど、実は日曜の夜で、月曜日の不気味な足音はすぐそこに聴こえているのではないか?耳を澄ます。

ひた、ひた、ひた、と裸足の張り付く音に混じって、ざらりとした鱗の擦れる音。肉片をひきずる重い音も聴こえる。間違いない。月曜だ。

すぐそばに来ている。

 

現実逃避の魔法が解けた私はいてもたってもいられず、なんの音楽も口ずさまずにモンキーダンスを開始した。無声音によるモンキーダンスは悪魔祓いになると信じているのだ。

御手手を上下に動かし、御腰を落として左右に振り、じたばたとキッチンを徘徊する。徘徊できるほど広いキッチンではない。冷蔵庫を開けたり閉めたりする。

ひじきが冷えていた。悲劇的だ。

 

しかし思わぬ喜劇がここにあり。

「悲しくなってきた」そう言いながらも恋人は私を見て、座椅子に顔をうずめ、ひとしきり笑ったのだ。

私も踊りの効果あって心が落ち着いてきた。いや、彼女が笑ってくれたから、魔が祓われたのだろう。

そうだ、ブログを書こう、と前向きな気持ちにさえなってきた。

 

彼女は風呂に入り、私はブログエディタを開いた。なにを書こうかな。迷いながらもタイピングをはじめる。月曜の朝に読んでちょっと笑えるものがいいな、なんて思いながら。