若い人の活躍は目覚ましい。
私より年下のスポーツ選手や歌手や棋士が輝かしい功績を残し、「2002年生まれ」などと目にするとぎょっとする。
でもまぁ、年下の活躍は、なんか良いっていうか、「ああ天才なんだな。ユーミンも宇多田ヒカルも10代でデビューしたしな」と、「天才」のことばで片付けて納得できてしまうから(これも本来良いことではない)、心に落とし込める。
いちばんきついのはまったく同い年でめちゃくちゃ活躍している人を目にしたときだ。
ああ、私なんて。。。と自己卑下に陥ってしまうけれど、そういうときは、私は最悪の人間なので、1995年生まれの犯罪者やニートをネットで探して安心するようにしている。
その最悪な自分を客観視したとき、ほんとうの地獄は扉を開ける。
とは言え、自己卑下に陥るかもしれないけど、同い年の活躍は嬉しい。
自分の同級生が活躍しているみたいで頼もしい。
こういう「マクロな誇り」って、たとえば日本人選手がメジャーリーグで活躍したり、日本の映画監督がアカデミー賞にノミネートされたり、日本人がノーベル賞を獲ったときに抱くものと同じだ。これから銀河時代になったら、地球人がN-87惑星で活躍したニュースで世界中が湧き立つ日が来るかもしれない。
最近は、同い年や年下の活躍より、中年以上の大人たちの活躍が嬉しい。
40歳で文学新人賞とか、50歳で将棋タイトル初獲得とか、その人たちの受賞には重みがある。
10代の天才的な才覚もいいけど、10代にはない艱難辛苦を何度も乗り越えて、なにかを辞めざるをえなかったり、誰かに傷つけられたり、それでも諦めずに挑戦を続け、もがいて掴み取ったその功績に、私は勇気を貰う。
泥臭い信念を胸に戦ってきたんだ。
その姿に熱くなる。
挑戦や創造に年齢なんて関係ないって。
いま諦める理由なんてないって。
生きていてもいいんだなって思えるんだ。