「夏の布団洗おうと思うんだけど」と彼女が言った。
「洗えば?」と私は言った。
彼女が自分の布団を洗いたいと言うので、洗えばいい、と返したわけだ。いちいち洗濯するのに私の許諾は必要ない。
「洗うのはいいんだけど、どうやって干せばいいのかわからない。前にさ、なんか干し方を発明したって言ってなかったっけ?」
「言った」
「どうやってやるの?」
私は答えに窮した。
我が家には布団洗濯ばさみがない。
なので物干し竿に布団をそのままかけてしまうと、固定ができずに落ちてしまう危険性があるのだ。
以前彼女がラグに除光液をこぼしまくったときに、夜中にラグを洗って干してやったことがあったのだが、そのときに私は布団やラグなどの大物の干し方を発明したのだった。
たしかハンガーと洗濯ばさみをなんとか工夫してうまいこと干した記憶がある。
そうして干したら風にも飛ばされずに完璧に乾燥できたのだ。
あのときは我ながら天才だと思ったものだ。お頭がよろしい、と自画自賛したものだ。こうやって発想を変えて道具を利用できる奴が賢いんだよな、と「賢さ」の定義をあらためた印象が残っている。あれは気持ちよかったな。自分を見直しちゃったもん。
しかしどうだ。
今その手法を思い出せない。
「干し方がわからないと洗うに洗えないよ。こんな暑い中、コインランドリーなんて行きたくもないし」
「今思い出してるから静かにして」
私はベランダを見つめ、あの日の記憶を探った。
それにしても今日はすげー晴れてんな。殺人的な猛暑日だ。逆にさ、こんな直射日光の下に洗濯物干したら服が駄目になりそうじゃない?暑さは充分だから、午後になって日が傾いてから干した方が良い気もしてくるよ。
つーか、あ~もう日曜日か。休みは早いなぁ~~~。クソだね。ほんと。
あ~やめよ。仕事考えるの。死にたくなるから。
死にたくないよぉ~~~。なんつーかさ、死にたいわけじゃないんだよな。存在したくないだけで。死はやっぱり怖いさそりゃ。こういう希死念慮って年取ると薄まるんかなぁ。
ぜんぜん思い出せない。集中できない。別のこと考えちゃう。
あの日の栄光浴だけ覚えていて、内容をすっぱり忘れるとは。
これってあれじゃん。「老害」と同じじゃん。
銀行で叫んでる老害みたいなおっさんおばさんってなんかこういう有耶無耶が蓄積した結果、あんなかんじに自我を保てなくなって、過去の肩書だけを着込んで内容を伴わず大声を張り上げ怒る存在に成り下がっちゃうんだろうな。
悲し。
私もいま、そうなりかけてる。
「思い出せた?」
だけど、ここでキレて、大声で自身の無能を隠そうとしようものなら、銀行で発狂する老人共と同等になってしまう。
私は静かに、そして心から謝罪する気持ちで言った。
「思い出せない。申し訳ないけど、なにひとつ思い出せないんだ。諦めてくれないか」
彼女は特に私を責めず、憐みを帯びた瞳で一瞥すると、なにも言わず洗濯機のある洗面所へ去った。
私は風通しの良いベランダと晴れ上がった空を見ていた。
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」