蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

除湿器のいらない時代

生時代に独り暮らしをしていた頃から使っていた除湿器がある。

あの頃暮らしていたアパートは熱帯雨林に設置された動物観察小屋みたいに湿気がひどく、夏の間はあらゆるところに結露して、寝ている間に耳の裏にカビが生える可能性もあるくらい、湿潤で陰湿な環境であった。

湿気を忌む私は強力な除湿器を購入し、湿気対策をしていた。

その除湿器を今でも使っている。

いや、使っていた。

 

同棲をはじめてからも室内干しをするときは除湿器を起動していたのだが、最近はこの効果に疑わしさを抱いていた。

というのも、一日中つけていても洗濯物がほとんど乾かないのだ。

干してある洗濯物の「房」のなかに頭を入れると、なんていうか、呪い、という言葉が相応しいような、ある種の怨念的、特級呪物的な(最近『呪術廻戦』を読みました。面白いですね♪)憎悪を感じ取れる生乾きのにおいが染みつき、くさい。

布巾のにおいを嗅げば「ラブストーリーは突然に」のジャケ写の小田和正みたく背を反ってつま先立ちになりOh!と声をあららげる。くさい。くさすぎる。

加えて除湿器は電気代をとても食う。なんの効果も無いのに飯だけは食う。ゴクツブシだ。

 

ムカつくのが、それでも仕事はしている風を装っていることだ。

除湿して集めた水分を溜めておくタンクには、一日かけてあつめた部屋の水(きわめて汚い)がパンパンに溜まっている。

洗濯物の水分は飛んでないのに、いったいどこからこの水を集めたというのか。

もしかしてこれは言い逃れをするために除湿器が自身の肉体から水を生成して溜めただけなんじゃないか。尿みたいに。だとしたらクソだ。尿だけど。

 

だけど、それでも除湿器をつけておかないよりはマシなんじゃないかと思えて、一応つけていた。

電源を入れるときの虚しさ、想像してください、私の悲しみ。

 

「扇風機だけでやってみようよ」恋人がある日言った。

「まさか。扇風機で乾くわけがないだろ。風じゃないかただの。もう我々はね、生乾きのにおいを受け入れるしかないんだよ。どうしようもないんだ。このまま死ぬんだ」

「妥協しちゃだめだよ。やれることはやろうよ。洗剤も変えよう」

「……好きにすればいいさ」

次の日恋人は室内干し用の洗剤と、洗濯槽を洗うカビキラーを購入してきた。

洗濯槽をそそぎ、室内干し用洗剤で衣類を洗濯した。この時点でにおいが全然違う。衣類はいつもより8割くらいの量に間引いた。乾く確率を上げるためである。

室内に干して、扇風機を「中」にして首を振らせる。

「すごい洗濯物揺れてる!風届いてる!」

彼女は興奮していたが、私には半信半疑だった。これでうまくいくわけがない。こんな単純なことで……。

こう半信半疑の姿勢になってしまったのは、長年連れ添った除湿器への想いも去来していたからだ。「役立たず」とは言っていたが、もし扇風機の働きが素晴らしいものだったら、本格的に除湿器は無用になってしまう。独り暮らしの時代、私を熱帯雨林湿度から守ってくれた、その恩を忘れたわけではない。

複雑な気持ちだった。

 

こう書いたということは、現実は非情というわけで……

扇風機の働きは素晴らしいものだった。

 

すべての衣類が乾いたわけではない。しかし、除湿器よりは効果てきめんだった。

電気代も安く、これはもう、除湿器は……申し訳ないが、家電買取でGoogle検索をはじめている。恩を忘れたわけじゃないけどさ……。

彼は部屋の隅で呆気にとられた様子で、ニコニコ首を振り続ける扇風機を見つめていた。

その瞳には嫉妬とか邪な気持ちは一切なく、世代交代を認めた老獪のように、ただ現実を受け止めていたのだった。そう解釈させてくれ。なるほど、家電買取は近くの電気屋がいいかもしれない。

 

時代が変わった瞬間だった。