蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

川という名前の淀み/まだ名前のついてない空間/夜の散歩

しぶりに雨の降っていない夜だったので、1時間ほどウォーキングをした。

普段使うスーパーやコンビニやコインランドリー やドラッグストアといった日常使いの「行動範囲」から抜け出して、地図も見ないで思った方角へとにかく進む。左が良ければ左へ進むし、暗くて細い道があったら入ってみる。大きな建物の前で立ち止まってみる。

夜は風景が違って見えてくる。

 

昨日は突然川に遭遇した。

聞いたこともない小さな川で、川岸は堅牢なコンクリートで埋め立てられ、ランニングコースになっているのか軽装で走っている人がちらほら見られた。

川、と言ってもそれを川と呼んでいいのか果たしてわからなかった。

流れがないのだ。

水が地上よりはるか低いところを流れているのでせせらぎも聞こえないし、パッと見た感じは街灯の反射も揺らいでなくて流れがあるようには見えない。川底の石が水面に露呈しており、水量がそもそも少ないようだった。

流れのない川に遭遇すると中学生の頃に読んだ評論文を思い出す。アフリカの紀行文?みたいな内容で、サバンナの「川」に言及していた。それは日本人が思うような川ではなく、流れはなくて泥水が澱んでおり、どこにも流れ出ないしどこからも流れ込んでこない。細長く陸を分断して点在している。大きな水溜りのイメージだ。だから川ではないのだが、日本人に説明するには便宜上「川」としか言いようがないのだった。

その紀行文のその部分だけ妙に覚えてる。タイトルも忘れたのに。

昨日見た「川」もまだ名前がついてない別のなにかなのかもしれない。

 

またしばらく歩くと、公園のようなものがあった。

感じの良い木が植えられ、中心に煌々と光る街灯があり、奥になにかの計測装置のような四角い機械が佇んでいて、円柱形の石が等間隔に隅に並んでいる。

コンクリートブロックが敷き詰められているが、どこからともない砂利が散らばっている。整然としているのに雑然ともしている。

公園のような雰囲気だが、そこに「遊び」はなく、本質は急遽余ったスペースに街灯を立ててなんとなく木を植えた謎の空間である。公園ではないので公園の名前もなく、ただただ「空間」がそこにあった。

公園に擬態している空間だ。

せめてベンチでも置けば「公園」として機能するのにそれをしないのは何故だろう。

日中はこの謎空間で遊ぶ子供たちもいるかもしれない。朝はラジオ体操をしているかもしれない。

近所の人たちはここをなんと呼んでいるのだろう。

「虚無」と呼んでいてほしいな。

 

川みたいな なにかと公園みたいな なにかと触れ合えて、良い夜散歩になった。