蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

やるべきことが多すぎる

ゃんと生きるためには、ちゃんとやらなければならないことが山積みになっている。

ありとあらゆる情報が氾濫し、それらを整理し、自分のやるべきこと、これから起こる変化、影響を把握せねばならない。

仕事でも、生活でも、勉強でも、全部そうだ。

それに加えて、予期せぬことが起こるとそっちに気を取られて、計画がまるで回らなくなっていく。

財布はレシートで分厚くなり、靴はいつまで経っても汚れている。いくつかの公的な書類は封筒から出されずに放置され、言葉はすれ違う。

先のことを考えると嫌になるので、もうなにもせずに部屋の隅だけ見て暮らすのが最も楽なのだけど、それをやると気が狂うのが、人間の面倒臭いところだ。

ある程度忙しい方がいいし、やることがまったくないよりかは、なにかに神経を注いだ方が生きてる感じがするものだ。

うつ病になると、なにかをやる気が起きなくなるらしく、目を開けたまま寝たきりになったりすると聞く。

たぶん、なにかに神経を注いで作業をした方が心も休まると思うのは私だけだろうか。まぁ、それができないから うつ病なのだろうけども……。

ひとりでも多くの患者の心が救われることを願っている。

 

話が逸れてしまったけど、とにかく人生において、生活の小さいレベルで、やるべきことはかなり多い。

それもそのほとんどのものが、煩わしい。

人生はその積み重ねで、死とはその煩わしさからの解放なのかもしれない。

死んでからもそういったやるべきことがたくさんあるのだとしたら、私たちはどこに救いを求めればいいのだろうか?

死後の世界には煩わしいものなんてひとつもなく、強制されない純粋で無意味な労働があり、川の流れや雲の動きを楽しむ余裕しかなく、終わりというものはどこにもないのだろう。

こうやって死後の世界のことを考えるようになったら、自分が今、忙しくてあまり余裕がないときだと判断できる。思考の指標だ。