駅のベンチに腰掛けていると、大学生の頃に受講した法律学の先生の話を思い出す────
先生は授業内容から話を逸らすのが得意としており、授業とは関係のない話を8割くらいしてその残り時間で法律の話をする面白くていい先生だった。
しかし、授業中にお茶を飲む生徒がいたら厳しく糾弾していた。
「この学校には冷水機がある。こんな素晴らしいものがあるのにお茶をわざわざ買ってるのか?おれなんてペットボトルを使い回して水をもらってるというのに。嬉しくってねぇ。タダが」
少々、変わった人だった。
男女関係の話もよくした。下世話な話題も多かった憶えがある。
「女は〜」と性差別とも捉えられかねない発言を繰り返していたが、まぁ、よくある男女の話に終始していたし面白かったのもあっただろうけど、先生は徹底的に平等に男女を貶めるか ので誰も苦言を呈さなかった。
「法律上、男女の呼称は「おとこ」と「おんな」なんだから、おれはなにがあっても女性とは言わない。お前らは、女、だ。差別主義者じゃない。おれの発言は法律に則ってる」
先生は男性に対しても男、と吐き捨てるように呼んだ。男は汚い、とも言った。唐突な暴言だった。
あるとき、なにかの話の流れで「死」の話題になったのだった。
自殺をどこでするべきか、そんな話を事故物件の精神的瑕疵や交通事故の損害賠償問題と結びつけて話し、死ぬなら人目のつかないところでなるべく金のかからない方法でこっそり死ぬのがいいと先生は結論した。
樹海で死ぬと発見されるまでは「行方不明者」として生き続け、それだけで遺族にとっては生きている可能性を示唆するので希望を与えられるらしい。しかし発見されてしまうと希望は潰えるし、遺体を持ち帰る手間賃がかかるのでできるだけ森の奥深くで命を断つべきだ。いつか機会があったらそうしなさい。
それにしても人はなぜ死にたくなるのだろう?
おれは呑気に生きてきたよ。だから死にたいなんて思わない。事故で左足がうまく動かなくなったけどまぁ、なんとかなってる。そんなこたぁいいんだ。どうして人は死にたくなるのだろう?
これだけ自殺者の多い国ではなにが絶望を呼び起こすのだろう?
知りたい?
なら、新宿駅のホームのベンチに朝から夜まで独りぼっちで座っててごらんな。すぐ、飛び込みたくなるから。
定期券あるでしょみんな。タダで駅にいられるからやってみなよ。
駅のベンチに座っていると先生の話を思い出す。
この世界の絶望は孤独から生まれてくる。その孤独はどこにでもあって、誰もが陥るかもしれない。そんな話を。