ゴリラとかセイウチとか、大きくて強そうで粗野ながらもどこか優雅な生き物が好きだ。
特に上野動物園で見たゴリラが印象的だった。
特に上野動物園で見たゴリラが印象的だった、という書き方をすると、さまざまな場所でゴリラを観察したことがあるような物言いになるが、ゴリラを見た記憶は数年前の上野動物園くらいで、人生においてあまり経験はないし他の記憶もない。
あのゴリラが印象に残らないわけがないから、あの時の上野動物園のゴリラがおそらく人生初ゴリラだったのだろう。ゴリラ・バージンを捧げたのだ。
飼育する人間としては大きく、そこに住むゴリラとしては小さい檻の中で、ゴリラ数頭が思い思いに過ごしていた。
あるゴリラは物言わぬ岩に語りかけ返ってこない返答を待ち続けている精神病患者みたいだった。
別のゴリラは赤ちゃんゴリラを抱えて赤ちゃんの目に人間が入らないように匿っていた。
中央にいたゴリラは円柵360度から浴びせられる視線に、凛とした態度で胸を張っていた。
知的で静かで強く美しい生き物。そういう佇まいだった。
筋肉の隆起、見え隠れする牙、硬い毛並み、言葉以上に語りかけてくる瞳。
ゴリラたちにとって人にジロジロ見られてるこの状況はさぞストレスだろう。などと考えるのも烏滸がましいくらい、ゴリラたちの表情は達観してむしろ我々人間を見物してやってるくらいの気迫があった。
ゴリラ、ゴリラと悪口に使われたり揶揄されることもあるが、それはゴリラに対して失礼だ。
彼らは高貴な生き物なのだ。人よりもよっぽどレベルの高い次元で物事を考え、捉えている。
ゴリラの友だちがいたらさぞ楽しかろうと私は思う。
セイウチも好きだ。
臭いところも大きいところも目がちょっと怖いところも好きだ。
セイウチとも友だちになれたら良いだろうなと思う。
水面から顔を出して硬いヒゲをひくつかせ、瞳孔の開いた目をぎょろぎょろして「おえおえおえ」と唸っているさまを目の当たりにすると、「このひとたちとは完全に話が通じないだろうな」と思わせる。牙が黄色く光る。あの異世界から来たような「理解不能さ」がある種の魅力だ。
水中で優雅に泳ぐ姿は美しい。陸の上とのギャップがいい。
水族館にセイウチコーナーがあれば見入ってしまうのを彼女はまったくもう慣れた態度であしらう。彼女はセイウチの魅力がわからないようなので、私が食い入るように熱中してしまうのを「理解不能」と思っている。
そこが彼女にとって、私の魅力になっているはずだ。そう思いたい。そう思うことにしよう。