移動に際して乗り換えで知らない街に降りる。いつも利用している電車の行き先表示の終点の街に降り立ってみる。
意外と栄えてることもあるし、意外と鄙びていることもある。そこにあるのは意外性だ。
明らかに田舎っぽく冴えない名前をしているのにいざ降りるとショッピングセンターが駅に併設されていたり、大きなロータリーがあったり、スタバやKALDIがあったりする。
「そんなに遠くないし、ちょっと利用してもいいかもしれないな」と思うだけだが、それくらいの価値はある。
逆になにやら楽しそうな名前をしていたり乗り換えで多線が入り組んでいるにもかかわらず、降りてみると駅前にCoCo壱しかない、なんて駅もある。
CoCo壱しかなくてこの街はどうやって成り立っているんだと辺りを見回すと、雑居ビルの影で まいばすけっと がひっそりと動物の臓器・植物の根などを売っている。野良犬が羽毛のついた肉片を貪っている。苔の生えた水溜りに油が浮いている。終点というわけか。はやく離れよう。
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午前中から出かける予定があったので、朝から煮物を作って夕飯の準備をした。
同居人が仕事の支度をしている間、私はイワシの頭を落として はらわたを裂いたり、生姜を刻んだりしていた。仕込みが終わったら朝食の紅茶を淹れ、彼女のためにパンを焼いた。
「なんなの?」と私の働きぶりに彼女は苦言を呈した。私が彼女以上に働き、家事をこなしていると恐れるのだ。
私はいずれ彼女の財力に養ってもらうのが夢なので、今のうちから家事めちゃめちゃ頑張りますよアピールをしている。主夫になりたい。扶養家族になりたい。
イワシと梅干しを合わせて煮物にする。
くつくつと時間をかけて煮る。台所は「良い旅館の朝ご飯のにおい」に染まる。私は7時過ぎからなにをやっているんだろう。
煮物を作るのは好きだ。丁寧な仕事をしている充実感があるし、味付けに失敗しても薄い分には調整できる。キッチンペーパーで落とし蓋をして、湯気が立ち、くつくつと立つ音に味の染み込んでいくさまを思う。美味しくなりそうな予感が香りを伴って広がっていく。
朝から一仕事して彼女を送り出し、私はようやく自分の朝食を食べる。
良い生活をしている、と思う。
養ってほしい、と強く思う。