蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

ドトールあれ。

しぶりにドトールでコーヒーをしばいた。待ち合わせのための20分くらいの時間を潰すためにドトールは最適解だと言える。

ドトールは念ずればある」という格言は私の先輩の言葉だ。「ドトールあれ。」そう念じて次の角を曲がればドトールはある。念じる力が不足だとベローチェになる。

大抵どの駅前にもドトールはある。ハンバーガーにはポテトがつくように、牧場には羊がいるように、赤ん坊にはへその緒があるように、駅前にはドトールがある。

 

昔住んでた街のドトールは駅前に細長く店舗を構え、ほかに喫茶がなかったので街の人たちはその駅前の店舗に押し寄せ、喫煙席はいつも満員だった。

隣駅にもドトールはあり、さらにその隣にもあった。ドトール先進地域だったのだろう。

値段の割に味はそこそこ良く、だけど個人経営の小難しいコーヒーに比べたら味劣りする、そのくらいのちょうどいいコーヒーを雨の日も風の日もいつだって変わりなく提供してくれる。

だから個人のカフェとは競合せずにうまいこと棲み分けている感じがしていて、もしもドトールのせいで自分のカフェが潰れたと言うのなら、それは「値段の割に美味しくない」ということだと真摯に受け止めるべきである。

ドトールはある種の基準線を引いているのかもしれない。

 

時期にもよるが、店内にやたらと就活生が多い気がする。

面接までの時間をなんとなく潰すのに最適なのだろう。私も就活生時代にドトールで時間を潰した経験があるのでよくわかる。値段は高くないし、長居しようと思えばできるし、コーヒーを飲んだらすぐに席を立つこともできる。資料を広げるテーブルもある。

スタバだと値段が高いので、ちょっと時間を潰すには惜しいものがある。それは個々人の経済状況にもよるだろうが、私にとってスタバは高くて45分以上居座らないと元が取れない気がしているので「ちょっと時間を潰す」には適していない。

それにスタバは「ご褒美感」がある。スタバのブレンドコーヒーを飲んだときに酸味に驚いてそれ以来フラペチーノしか飲まないと決意したので、スタバは「甘い」のだ。甘くて高い。これはもう「ご褒美」である。

今どきスタバでMacBookを開いて鼻を鳴らしふんぞり返っているようなクリエイター気取りはいない(そういう輩はブルーボトルコーヒーへ移行してる)し、スタバの敷居はかなり低くなっているけど、それでもなお「ご褒美」の気質が私の中にはあり、軽い気持ちでは入れないのだ。

長時間を過ごすならスタバ、軽く休むならドトールだ。

 

それにしてもドトールのカボチャのタルトはとても美味しいので、ぜひご賞味ください。