夕食後は恋人と一緒に食器を洗う。
昨晩は彼女が皿を流し、私が布巾で拭いた。彼女は流し終えると排水溝を掃除し、私は洗剤とキッチンペーパーでコンロ周りを掃除する。
油用洗剤を取りたくて、彼女の寄りかかる流しの下の収納を「ちょっとごめんね」と言ってから開けようとしたら、彼女が急に身構えたので、どうしたのか問うと、「刺されるのかと思った」と言った。
「収納に入ってる包丁を取って、わたしは刺されるんだ、っておもった」
「どうして?おれはそんなことするように見える?」
「あなたの日頃の行動、言動がわたしにそうおもわせるの」
私の日頃の行動・言動のせいで、恋人の中の私が凶悪人物になっている。
恋人曰く、彼女の中の私は気に入らないことがあるとすぐに人を殺めたり、虫を食べたり、髪の毛を啜ったり、ストーカー行為をたびたび繰り返し警察の厄介になっているらしい。腐った樹木の穴の中で寝起きしているらしい。
むろん現実の私は善良な小市民である。子どもと動物を愛し、草木や花々の移り変わりに安らぎを覚え、月は何度見ても感動できる、美しい心の持ち主だ。
「サイコパスであることと、美しいものを美しいと思える心は同居するからその反論には意味が無いよ」彼女は言う。
いったい、私の行動のなにが、信頼を損ねたのだろうか。
たとえば先日パンケーキを食べたとき、私は「ファースト・セッション」と称して体を直角に曲げてパンケーキの香りを楽しんでいたのだが、彼女的にそれはまずかったらしい。身体を直角に曲げてパンケーキの香りを嗅ぐ男の絵面は見るに堪えなかったとか。
また、日ごろから私は語彙力が足りないせいで、なにかとものの大きさを喩えるときに「赤子の心の臓くらいしかないね」だの「猫の生首くらいの大きさだ」と物騒なことを言ってしまう。
他には「土俵入りかとおもった」だの「乱用者じゃん」とか「凡庸な惡」などと、口をついて出る言葉にろくなものが無い。
こういった細かい不信の積み重ねが4年半にも及び、彼女の中の私は増悪したのだろう。
私は信頼を取り戻さねばならない。
言動と行動に気を付けねばならない。
しかし一度失った信頼は回復が難しい。あまり気の利いたことができないと、最終的には修復不可能なまで二人の関係は傷つき、破綻するかもしれない。
「どうやったら信頼を取り戻せるだろう?」訊いた。
彼女はうーん、そうだな、と言ってからにやりと笑い、「ファミマのいちごミルクを買ってきてくれたら、信頼を取り戻すんだけどな」言った。
迷うことはない。彼女の不敵な笑みの30秒後には私はアパートを出て、近くのファミマへ向かっていた。
ピノも買ってやった。信頼回復は間違いない、と目論みながら。