ある夏に大きな蠅が家に入って来たことがあった。
蠅にしては大きい2センチくらいあったか。黒々として肉厚で、頭の近くを飛ばれると「ぶをん」と物々しい音を響かせた。
どこからどのようにして入ってきたのかわからないが、入ってきたからには逃がすか殺すしかない。我々は共生するにはあまりにも姿かたちが異なるし、生活スタイルもまるで違う。なによりも意思の疎通が難しそうだった。
いざ殺すにしても殺虫剤はできるだけ撒きたくないし、一言に殺すと言うが虫にも魂はあるわけで、特にこのような大きさの蠅となれば通常の蠅よりも知能は高いはずで殺生の瞬間何を思うかを想像すると、できれば逃がしてやりたい。
とは言い条。
逃がすことも殺すこともできなかった。
あまりにもすばしこいのだ。
窓を開けてやっても出て行く気配はないし、常に飛んでいるわけではなくて大抵は物陰に潜んでいて、人間が近づくと領域を犯されたと勘違いして威嚇混じりに「ぶをん」と飛翔して尻もちをつかせる。
私はこの蠅に「獅子」と名付けた。
もはや自宅の制空権は獅子に握られていた。
たしか、2~3日のあいだ獅子は飛んでいたと記憶している。
私たちは限界だった。なにをするにも獅子が飛んで視界に入るし夜なんて電球に突撃して煩わしかったし、なにより不衛生だった。
こんなに大きい蠅なのだから野生に暮らしていたときはきっと太めの野糞や動物の死体に好んで群がっていたはずだ。病院の清潔なリノリウムの床にずっといたなんてわけがない。見るからに不衛生な獅子が家のそこらを飛び回って汚ねえ体を擦りつけているのを目のあたりにするとむかっ腹が立った。
新聞紙を丸めて壁にとまった獅子に近付くが、こちらが殺気を漏らした刹那に威嚇飛行に移る。びっしり生えそろった複眼でこちらのことを一分の隙もなく見ている。幾度も殺害に失敗し、敗走した。こうなったら家を燃やすしかないところまで来ていた。
私は家族に共生の方向に進むしかないと説得した。
こうなっては殺せないし、なぜか逃げていく気配もない。もしかしたら獅子はここを我が家と思い込んで、私たちが逆に獅子のねぐらに住まわせてもらっているのかもしれない気がしてきた。もう無理だ。諦めましょう。
「馬鹿が」
そう妹に吐き捨てられて私の説得は終わった。
獅子に翻弄されるあまり蠅ごときに懐柔された自分を恥ずかしく思った。私は心まで獅子に敗けたのだ。
しかし終わりは呆気なくやって来た。
昼下がりに獅子を追いかけまわしていたところ、突然ダイニングテーブルの上に止まって動かなくなった。
これをしめたと近づいたがなにか様子がおかしい。本来であればこれだけ接近すれば威嚇をしてきたはずなのにピクリとも動かない。いよいよ脚の産毛の見える距離まで迫って私は気付いた。
散華。
獅子は絶命していた。
さきほどまで威勢よく飛んでいたのにもかかわらず、まったく予期せぬ死であった。
その姿は弁慶の立ち往生ではないけれど堂々たるもので、六本の足でたしかに立っており、ちょっとの風はどこ吹くものか、ものともしない恰好ですらあった。
虫の死ぬ瞬間を見たことなかったので驚いた。なんの言葉もなく、なんの予兆もなく、いきなり死ぬものなのか。今にも飛んでいきそうに、まるで生きているように完全に死んでいた。
いまでも時々、獅子の死を思い出す。
私はあんなに立派に死んだ虫を知らない。私もあんな風に死ねたら、と思う。
思わない。