蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

オオカマンメー

の頃はめちゃくちゃビビってた。

童話のオオカミに。

「三匹の子ぶた」が大好きで童話絵本を繰り返し読んだものだが、何度読んでもオオカミが恐ろしかった。息吹で藁の家を吹き飛ばしたり、体当たりで木造住宅を破壊したり、とてつもない奴だと思っていた。絵本には穏便に書かれているが、実際は家屋を破壊された豚たちは食われていたのだろうな、と子どもながらに察して肝を冷やしていた。

オオカミ、恐ろしい生き物だ。

また「赤ずきん」に登場するオオカミも極めて恐ろしい悪魔だ。おばあさんを丸呑みしてしまうし、卑劣な嘘も吐く。赤ずきんも食べられてしまう。今思えばその後報復行為として腸(はらわた)に石を詰める人間サイドもかなり怖いのだが、当時はオオカミのおぞましさを「三匹の子ぶた」と合せて盤石なものとして理解していた。

子どもながらにオオカミには気を付けるべきだと念頭に置いて、公園などで単独行動をする際には充分に配慮した。

 

いつしかオオカミへの恐怖を忘れたのは、図鑑や動物園でリアルなオオカミを知って「大きめの犬」と知ったからだし、絵本は結局虚構にすぎずイラストの醜悪なオオカミは「オオカミっぽいなにか」だと理解したからだし、現実と虚構の区別をきちんとつけてお話を楽しむ姿勢を獲得したからだ。

あるいはオオカミよりも怖いものを知ったからかもしれない。例えば戦争とか、未解決事件とか、難病とか、詐欺とか。

いずれにせよ童話のオオカミの存在はフィクションで、現実にはオオカミよりも恐ろしく醜いものがごまんと野放しになっており、童話は現実の形を変えた寓話であってオオカミはその負の役柄を担うモチーフでしかない、と言語化はできないもののなんとなく理解していた。19歳になる頃には確実に気付いていた。

 

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物心がついた初期段階で、私はオオカミのことを「オオカマンメー」と喃語交じりに言っていたことを昨日突然思い出した。なにがきっかけかはわからないが、私はたしかに「オオカマンメー」と言っていたのだ。

なにかその響きにはおっかなさと気のすくむ力の抜けた感じがあって、二十年ぶりに声に出してみると、オオカミの心象と音の響きになんだかプリミティブな印象をおぼえた。

私はオオカミを怖がっていたことを思い出した。

 

トラックのことを「こわっこ」と言っていたことも覚えてる。これは「オオカマンメー」よりもより直接的でわかりやすいだろう。トラックは大きいし煩いし臭いので、坊やの敵だった。

幼いころのそういう固有の言葉は誰しもあっただろう。今思い出してみると、子どもの頃に抱いていた印象がほんのり蘇っておもしろい。

自分に子どもができたら言葉をメモしておこう。それを子どもが大きくなったら掘り返して発表し、居心地悪くしてやろう。からかってやろう。

これは教訓なのだ。オオカミよりも恐ろしいものは身近にいる、という。