蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

罪深い食事ができるうちに

しぶりに、大好きな家系ラーメンを食べに行った。

かなり大雑把な説明だが、家系ラーメンというのはこってりした濃いめのラーメンである。

それを久しぶりに食べたら「あれ?」と思った。

なんだか、キツいのだ。

美味しい。美味しいのだけど、なんか段々キツくなってくる。お腹が苦しいんじゃなくて、なんだか喉を通って行かないというか、脳が「もういいです」と訴えてくる感じ。

卓上のショウガをスープに溶かし、酢を混ぜてやると味があっさりして食べやすくなったが、私の中ではある危惧が喉に引っかかり続けて、楽しみだったラーメンは後半、ほとんど事務的な消化作業と相なって啜っても引っかかるようで、はっきり言ってあまり美味しさも感じなくなった。

「年を取った」

といってもまだ26歳なのだけど、年々、こういった濃いめ油多めの食べ物キツくなってきている。

その事実から目を背けていたけど、久しぶりの家系ラーメンを前にはっきりと現実を目の前にした。

「年を取った」

ラーメンは大好きだけど昔から食後に「二度と食べるか」と後悔するたちで、あまり得意ではなくこれは私の内臓が弱いせいなのだったが、食べてる途中で「やばい」と冷や汗を流したのはこれが初めてのことだった。

そういえば最近、甘いものがめっきり駄目になってしまって、パンケーキも半分を過ぎたあたりからは「お残しは許さない」責任感から強迫的にフォークで口に運ぶだけの作業と化している。

とんかつもロースかつは結構きつくて、近頃は「塩」でいくようになった。

恋人もパフェを食べてると胸焼けがしてくるらしくて、彼女は甘党ゆえにその事実はかなり堪えたようであった。

 

こういう食べ物がキツくなるのって、もっと先のことだと思っていた。

38歳以降、いや、若くても30歳までは平気の平左とばかり思っていたのだが、それは本当に最終的な足切りの年齢で、選別自体は25、6歳から始まっているのだ。

 

だからこそ、と私は思う。

だからこそ今のうちに、今しか食べられないものを食べよう、と思う。

どうせ老いれば粥しか食えなくなり、死ねば煙か土か食い物になるのが生物の定め。ならば今のうちに──まだ多少の余裕のある今のうちに──生クリームを頬張ったり、濃いラーメンをアブラ多めでいったり、真夜中にピザを食べるべきなのだ。

そう、後悔はしたくない。

ほとんど湯みたいな粥しか啜れない老人になったときに「真夜中にたらふくピザ食べておけばよかったな」とホスピスで思いたくない。死ぬ直前に「アブラ多め、麺かため、味濃いめ……」などと のたまいたくない。

 

イムリミットは迫っている。カウントダウンは始まっている。

罪深い食事ができるうちに罪を重ねておかねば。