会社に全然仕事ができない先輩がいて、どれくらい仕事がでいないかというとあらゆるスケジュールは遅れているし、遅れていなかったとしてもギリギリすぎることもあって社内社外問わず常に迷惑をかけており、ときとして災害級の業務障害を起こすことがあるレベルの、動く人的損失だと思ってもらって構わない。
私が入社して以来3回大きなトラブルになった。私は3年目なので、先輩は年に一回は大やらかしをしでかしている計算になる。
彼は入社以来、部署内のあらゆるチームを転々としているらしく、ようは「うちでは困るからお願いしますよ」と人事異動の時期になるたびに上司たちが押し付け合っているみたいだ。不憫と言えば不憫だが、本人に問題があることは間違いない。
どこがどう悪いのか、しかしながらここで指摘したいのではなく、今日語りたいのは彼がいかに大切な存在であるか、という話だ。
情けないことに、私もあまり仕事ができるタイプではない。
細かいミスや不注意も多いし、メモを取っていても忘れることがしばしばあって、半年に一回は冷や汗をかくような大ミスにギリギリ呑まれかけることがある。すべて不注意や油断や怠慢から来る。
直そうと思っても直せないのは、性格の根の部分の問題だからだ。どれだけ気を付けていても根の部分が腐っているので少しでも気を許すとミスの種を生む。だから仕事中はつねに力んでいなければならないのだが、ずっと力んでいると疲れるので一息つくと、その隙を見てミスの種が生まれ、それを除き損ねると水面下でじわじわ根を広げて半年後くらいに大きな花を咲かせる。その花は臭くて蠅がたかっている。
なんとなくだけど、人生の至る面でこの根が張りめぐらされていて、こいつのせいでいつか自分の首を絞めて死ぬんだろうな、と思っている。ヤバイとは思ってるし反省もしてる。人一倍落ち込みやすいから、眠れなくなる日だってある。
だけど。
ああ、なんてダメなんだろう。生きる価値もないや、としょげてしまっても、件のやらかしまくる先輩がいることで私の心は救われているのだ。
「あの人のミスに比べたら自分のなんて軽いもんだな」
「あの人に比べたら私なんてマシな部類じゃないか」
まことに残念な性格だが、「下」がいることで安心できるのだ。
書いてて本当に情けなくなってくるけど、「下」がいることで心の安定を保てている。
先輩と同じ仕事に割り当てられると正直「まずはこいつを何とかしないと……」と思われるくらいにはヤバイ人なのだけど、他の仕事になれば大丈夫だ。遠くから見ている分には安全。むしろミスをしてくれるだけ私が安心できる。自分は大丈夫だと思える。(こういう人間である時点で私は大丈夫じゃないし手遅れだ)
同僚も「あの先輩好きですよ。わたしより駄目なので安心します」と言っている。
もしかしたらこの職場はなにかおかしいのかもしれない。
仕事でミスばかりして落ち込んでいるそこのあなた。
あなたにも、自分より格下ができればどれだけ安心できるか、心底お察しする。
ただ、現状をあまり悲観しないでほしい。あなたも誰かの「安心」になっていて、間接的に誰かの役に立っているかもしれない。自分の価値を自分で値踏みしてはいけない。
三連休前に私はとてつもないミスが発覚して、ぜんぜん休みを謳歌できる精神状態ではないのだけど、先輩のことを思い出すと心がスッと軽くなる。
先輩が私の「安心」であるように、あなたも誰かの「安心」かもしれないし、私も誰かのためにそうでありたいと時々思う。
いや思わない。