蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

虚しい感動

よりもひと月先に入った中途採用の人が、今日で辞めた。

見るからに愚鈍だったし、説明したときにはさもできそうな感じで意見を述べたり、わかりましたと言わんばかりの相槌を打っていたにもかかわらず言われたことを再現できなかったり、その他にもいろいろとマイナス評価が重なって、結句は「辞めさせられた」かたちと相なった。

一度、残業のかなり遅い時間に、上司に叱責というか、それなりの重いことを言われていたのを目撃した。上司は怒るというよりもう呆れてる具合で、その人を相手にしているとこちらまで心をすり減らすことになると言わんばかりの状態だった。

私が入って1ヶ月の頃には、まぁまだうまくやっているように見えたのだが、私から見ても3ヶ月目くらいには「もしかしてこの人全然仕事ができないな?」と断ずることができた。成果物を見てもそうだし、作成された書類や基本的な資料を見ても明らかだった。

経験がどうこうではなく、人間性としての問題を感じるようなレベルなのだ。

ある日その人から、わたしはほとんど同い年なのに、もう3回も転職してるんです、という話を聞かされた。

なるほど、である。

仕事が遅いだけならまだいいのだけど、精度も悪い。そうなると「この時間で何をやっていたの?」という話になる。

何度も同じ間違いを指摘されても修正できていない。その場限りではいい返事をする。だからより一層、上司や先輩はストレスが溜まるようだった。

本人からの依頼退職、ではあるけど、実質的には上司との「面談」の結果によるリストラまがいのものである。

でもこれで双方にとってよかったのではないか。その人も、ここ最近はかなりつらそうだったから。

 

一方で私は、その人の存在に安心もしていた。

私はまだ入ったばかりで仕事に自信がないし、速度の面でも精度の面でも他の方々に比べたら劣ることに間違いはない。でもその人がいたから、私はビリにならずに済んだ。

それが辞めてしまうと、私は「一番できない人」になってしまうし、反面教師を得られないため学びの機会が減ってしまう。

明日からもう少し気を引き締めようと思う。

 

その人がお別れの挨拶にお菓子を配って回っていた。

私もいただき、その場ですぐに食べた。あまり味はしなかった。

「優しくしていただいてありがとうございました。ぜひプライベートでもまた機会があれば」と言われたので、「ドモ」と会釈だけして、餞別の言葉を述べた。

お疲れ様でした。どうかお元気で。

事実上辞めさせられるのにお疲れ様もクソもないし、っていうかここでお菓子を配って一人一人と言葉を交わすその胆力もすごい。もしかして使いようによっては有用な人物なのではないか。

「ありがとうございました」と言って歩き回り、どこか歴戦の仲間たちとの別れを惜しむような態度さえあるその人に対し、他の人も「お疲れ様でした」とだけ言って言葉少なに会釈をする。

なにがお疲れ様なのだろう。その人は半年しか働いていないのに。

先輩が、手ぶらではなんなので、という形式的な理由で石鹸をプレゼントしていて、それにその人はとても驚き、少しだけ涙を滲ませていた。

「え!わたしなんかが!え!ありがとうございます!感激です!え〜!泣いちゃいますなんだか…」

なんて虚しい涙だ。

大袈裟に喜び、感動しているその人の感情の、言葉の、行動の、涙の、どこまでが本当なのだろう?

この、どうでもいいような、ニオイの立つ石鹸によってその人の心はどこか救われたのだろうか?

この人には心がないのか、それとも感情を分析的に判断できていないのか。

先輩の心のこもっていない形式的なプレゼントであるというのを知っている私は、その人の脂汗みたいな涙を見て、散弾銃を打たれたときのような無数の穴が心に空くのを感じた。

同じ穴が、その人の心にも無数に空いてて、なにも溜めることなどできないのかもしれない。

 

その人は最終日だけど、残業した私よりもまだオフィスに残っていた。

まだまだデスクには私物がたくさんあって、とても今から片付けて撤収するのは大変に見えた。片付ける時間はたくさんあったはずなのに。

最後の最後まで……いや、これ以上は何も言うまい。