蟻は今日も迷路を作って

くだくだ考えては出口のない迷路に陥っている

いつも全力でチョココロネ

まに夜、スーパーで妻がチョココロネを買ってくれる。

買ってくれる、と言っても私がねだっているわけではなくて、帰り道に寄った際に翌朝のパンと共に買ってきてくれるのだ。

「あなたのコロネは明日の朝ご飯にしなね」と言われるのだが、私はこれを認めない。

すぐに食べる。

夕飯が済んだら、なるべくはやくチョココロネを食べる。

「え、明日の朝ご飯どうすんの?」

「おれは、抜きでいい」

心からそう思える。

私もいっぱしの大人だから自制心のひとつやふたつあるけれど、大好きなチョココロネを明日の朝まで放っておくなんてとてもできない。

それに私は思うのだ。

「明日の朝、仕事に行く前の、あ~めんどくせぇな~って懈怠な気持ちの中でチョココロネを100パーセント楽しめるだろうか?」

楽しめるだろうか?

否。

私は全力で、100パーセントのチョココロネを食べたい。

惰性的に口に物を運搬する朝食なんかで、──20パーセントの気持ちで── いたずらに消費したくない。

だから私は夜のうちに ──懈怠な気持ちにならずにいられる夜の幸福な時間のうちに── チョココロネを食べるのだ。

「あなたが全力でチョココロネを食べてくれるから、わたしも買ってきてしまう」と妻。

なんかそれって、愛じゃんね。

 

「チョココロネ以外にも、ホイップコロネとかクリームコロネとかあるけど、チョコじゃないと駄目なの?」

「そんなことないよ」と私は本心から言ったが、ふと素直になって「チョコが100点だとするなら、それ以外は75点かな」と繕わずに訂正した。コロネに対して私は100パーセントでありたい。

「意外と低っ。でもあなた、チョコ自体はそんなに好きじゃないじゃん。むしろホイップとかカスタードの方が得意じゃん」

そうなのだ。

これは私にとっても不思議で、普段はチョコレートはそんなに食べなくて、チョコと砂糖菓子があるなら後者を選ぶくらいチョコレートはあまり得意ではないにもかかわらず、ことコロネに関してはチョコ一択なのである。

根が第一印象尊重主義にできているので「コロネといえばチョコ」という固定観念があって「それこそが本来の姿だ」と思い、これまた根がブランド趣向主義にできているため派生や本流から外れたものは好まない性格が自分の中でチョココロネを100点に据え置いているのだと思われる。

でも実際、チョココロネこそが最も完成度が高く、認知度も高い。

その証拠に「コロネの絵を描いてください」と言われてほとんどの人がチョココロネを描くという。

 

「それにしても、パンコーナーでもチョココロネは群を抜いて安いし、いつも余ってるよ。それだけ人気ないっていうか、特段どうってことないんだよ。世間の人にとって。なんでそんなに好きなの?」

私自身、どうして好きなのかわからないし、実はめちゃくちゃ好きであるというのに気づいたのも最近のことで、それまで日常的に見かければ買っていたため、この感情が「好き」ということだと言語化できていなかったのだ。

なんて原初的な衝動だろう。

オリジン・オブ・ラブ。

愛・LOVE・チョココロネ。